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米長邦雄さん逝く [将棋]

日本将棋連盟会長の米長邦雄さんが、今日18日朝、天国へ召されたそうです。
69歳の生涯はあまりにも短く、惜しい。
大ファンのぼくは悔しくて、悲しくて、もうほとんど言葉がありません。

永世棋聖、初の50代名人、コンピュータとの平手対戦に敗れた元名人・・・など、
米長さんを紹介するフレーズは、実に数多い。
だけど、どれをとっても、ぼくにはまったく事足りていない気がします。

「兄たちは頭が悪かったので、仕方なく東大に行ったんですね。
 でも、ぼくは頭が良かったから将棋指しになりました。(笑)」

有名なこのセリフ、決して奢らない米長さんだったからこそ許されました。
人間味あふれる、ジョークが好きな、洒落たハイセンスなおじさん・・・
それがぼくの大好きな米長邦雄でした。

米長さんと言えば、恐らく現代将棋で最も有名な手である5二銀の解説!
そうです、あまりにも有名な'89年のNHK杯、加藤(一)vs羽生戦。
こんな鬼手が飛び出した名局の解説が米長さんだったのも、何かの因縁ですよね。
やっぱり人徳じゃないかなァ。



米長さんの棋風は、とにかく前へ前へ。
少々無理筋でも、勝負所と見るやグイグイ突進する気っぷの良さ。
そうかと思えば、米長玉(9八玉)に代表される無類の粘り腰も兼ね備える。
ひとことで言えば、ファンサービス精神にあふれる棋士だったと思います。

「いずれ、あの男がやって来る」

後の七冠男・羽生善治に早くから注目し、「名人の器」と言っていましたよね。
ご自分の子供のような年齢の若手棋士に「教えを請う」と言って憚らないスタンスは
それまでの将棋界にはなかったものだったのではないでしょうか?

ああ、しかし。
今となっては、何を言っても空しい気がします。
最後に、絶筆となった米長さんのHPの記事を記念に貼り付けさせていただいて、
大好きな大好きな米長さんとお別れしたいと思います。


-------------<『米長邦雄の家』まじめな私 より転載>-------------

■最後の時(2)(2012.12.2)

 最後の時。先週こういう出だしだったもんで、心配してくれた知人、友人が
多かったです。その中でも忠告してくれる人がいて、告別式のあり方、不謹慎
なお墓などは止めた方がいいという、超真面目な人が居りました。
以後氣をつけます。

 人生は必ずいつか終わるもの。どのような形で投了するのか、あるいは投了
させられるのか。最近はそんなことを考えるのが多いのも又事実です。痛みも
なく苦しみもなく、寿命を全うできれば、これが一番幸せではないかと思い至る
ようになりました。
 悟りを開いた高僧になった訳ではありませんが、「人生すべて感謝である」
これが今の心境です。私はガンを患っていますが、これもことの成りゆきで、
人生はなるようにしかならないのだと達観しております。
 しかし、人生の達人にお会いして、それではまだだめだと教えられました。
この世には無駄なことは何もなく、ガンになったことすら感謝すべきであると
諭され、はっと氣づかされました。
 私自身の人生を振り返ってみると、60才までの勝負師人生、その後の経営
者としての人生に分けられるような氣がします。60才までのことは大方の人が
知っていることでしょうから、60過ぎからの会長職としての仕事の成果、内容、
等々を書き綴ってゆきたいと思います。

 次いで、俗人の生前指示についても書いておきたい。相続、告別式の手配
等です。全てが感謝といっても、やっぱり俗人ゆえに葬式に来てもらいたくない
という人間がいます。これをインターネットで公表していいものかどうか
(ま、そんなことはしませんけどね)。この感情も含めて、感謝なのでしょうか。
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