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木蘭の涙 [暮らし]

2011年3月11日(金)。
天気が悪かったという記憶はないので、きっと天気は良かったと思う。
お昼を過ぎ、その時はやって来た。14時46分。

ぼくはJR品川駅港南口にあるビルの1F、エレベータホールにいた。
デスクは東品川にあったのだが、何かの打合せで品川オフィスに来ており、
当時まだタバコを吸ってたぼくは、1Fにある喫煙所から9Fの打合せ場所に
戻ろうとしていたところだった。
エレベータが到着してドアが開き、さあ乗ろうというその瞬間、
エレベータの照明が消えると同時に、聞き慣れない自動音声が流れた。
「地震です、エレベータを降りて非難して下さい。地震です・・」

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(庭のハクモクレン。本日3月11日、13時半頃に撮影)

このブログには何度も登場していると思います、我が家の白木蓮。
このところの暖かさが影響したのでしょうか、春の陽射しをいっぱいに浴びて
今週には咲きそうです。

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<追記 2018/3/18>
まっちゃんのご依頼により、満開のモクレンを再度掲載します。
しかしながら甚だ残念なことに、満開をとっくに過ぎておりました。
なにしろ大豪邸なので、モクレンの場所まで3時間ぐらいかかるのです(爆)

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(満開を過ぎたハクモクレン。上の写真の1週間後、3月18日の13時半頃に撮影)
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7年も前のことだとは思えないほど、とても鮮明に憶えています。
その後、次々と明らかになった津波の大惨事は皆さんご承知のとおりです。
当時ぼくは人事部におり、被害地域の社員の情報収集のために23時ぐらいまで
会社にいましたが、一段落したので帰宅の途につきました。

公共交通機関はすべてSTOP。
まあ、こんな大災害が起こってしまっては致し方ありませんよね。
東品川のオフィスから住まいのあった糀谷までの8kmぐらい、歩き慣れている
今なら何と言うことのない距離なんですが、当時は何の運動もしておらず
徒歩2時間は結構きつかったような気がしました。
それにしてもみんなどこまで帰るつもりなのか、真夜中であるにも関わらず
第一京浜(国道15号)は延々と徒歩帰宅組の大集団です。
正直、これはすごく心強かった。

信号機は消えていました。
警察官が交通整理していましたが、大渋滞。歩いたほうが絶対速い。
帰宅途中、沿線の靴屋を覗くと、運動靴は軒並み売り切れです。
自転車屋さんでは、「自転車は売り切れました」の貼り紙。
コンビニに立ち寄っても、パン・おにぎり・カップ麺の棚には何もありません。
寒さはあまり記憶にありませんが、空腹が襲って来たのはよく憶えています。
京急蒲田を過ぎて、環八沿いのお店に空席を見つけました。ラッキー!!
何を食べたか忘れましたが旨かった、生き返りました。

帰宅したら、1時をとうに過ぎていました。
電子レンジの上に乗せていたトースターが床に転がっていましたが、
それ以外に特に変わったことはありませんでした。
確か震度5強だったと思いますが、実に幸運だったと思います。

翌週以降もしばらくの間、電車はまともに動きませんでしたね。
エリアの広いJRはまだ理解できますが、どうしてエリアの狭い私鉄まで
JRに右へ習いになったのか、今でも理解できていません。
スーパーは薄暗くてヘンだし、日配品はもちろん品切れ続出。
ガソリンスタンドに行けば長蛇の列だったですよね。
計画停電、するぞするぞと脅かされてビビリまくりました。
結局、停電はなかったけどね。


皆さん、もう7年でしょうか。
まだ7年でしょうか。

この7年で変わったこと、変わらなかったこと。
・単身赴任地から、ホームグランドに帰ることが出来た
・グループ会社に5年間お世話になり、また元の会社に戻った
・娘が自立したいと言い、家を出た
・震災の年(2011年)の冬前に禁煙開始、既に6年以上を経過
・2013年2月のドックで指摘を受け、その年の春よりウォーキング開始
 その後、ランニングに進化
・朝の目覚めが早くなった、ほとんど目覚まし要らず

被災地の復興は、7年が経過しても未だ途上のようです。
大切なのは、こうして忘れないようにすることではないでしょうか。
みんなの「頑張れ東北応援団」という気持ち、決して色褪せてはいません!


何だか今夜は『木蘭の涙』が聴きたい。
よくスターダスト・レビューらしくないと言われるこの曲ですが、
ぼくはそんなことはないと思います。


(差し替えました 2021/01/07)

2万2千人を超える方々が犠牲になられたと聞きました。
心より哀悼の意を表したいと思います。

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You May Dream [音楽]

シーナ&ロケッツを知っていますか?
鮎川誠を知っていますか?

180207_181621rr.jpg
(JR九州の電車9両1編成全体に一斉に掲出された番宣ポスター。2月7日撮影)

いよいよ今週末の放送になりました。
3月2日(金)19:30~20:43、地上波NHK総合です。
いつリンク切れになるか分かりませんが、番宣のリンクも一応貼っておきます。
http://www.nhk.or.jp/fukuoka/drama/dream/

NHK福岡放送局、渾身の力作です。
ただ、これ、ひょっとしたら九州沖縄だけの放送かもしれません。
だとしたら、実に勿体ない話だ。どうして全国放送しないのでしょう?


鮎川誠+九州沖縄ローカル放送と言えば、約10年前にもあったようです。
「ただいま! 鮎川誠 “還暦” ロックンローラー ふるさとへ」
※放送は2008年4月13日(日)。因みに現地ロケは同年2月22日(木)。

しかし残念ながら10年前のこの時期は単身赴任中でありまして、番組のことも
後になって知りました。
・・・と思ってたんですね、ついさっきまでは。
ふと気になったので、JALのHPで10年前の搭乗記録をチェックしてみました。
そうしたところが・・・

搭乗記録rr.jpg

あれま。
4月13日は帰省して在宅しており、東京に戻ったのは翌14日だと判明!
どうして見逃してしまったのか、真相は藪の中です。。


鮎川誠。
というよりも、やっぱりシーナ&ロケッツと言うべきでしょうか。
でもなあ。鮎川さん以外はメディアへの露出はあまり多くなかったし、
鮎川さんの、あの比類無き個性には、さすがに霞んでしまう・・・

ぼくは率直にいって、鮎川さんの音楽はよく分かりません。
ロックファンでもないので、彼らのファンという認識も特にありません。
だけど、昔からどういうわけだか気になる男なんですよね、鮎川誠。
自己主張の仕方が何だか妙に心地良いと言うか、実に不思議な人です。

いつだったかなあ、80年代? 鮎川さんがまだ30代半ばの頃でしょうか、
博多弁で豚骨ラーメンのCMをやってました。これがすごく印象に残った。
その頃は久留米出身だということも、九州随一の大学である九大の出身である
ということもまったく知らなくて、コテコテの博多弁を喋るミュージシャン
ぐらいの認識しか持っていませんでした。
だけどその雰囲気たるや、他とは全然違ってた。なんとも独創的だった。

(この人、すごいな)

78年に上京して以来、ずっと世田谷暮らしというから、もう40年です。
40年経っても、いまだに博多弁+筑後弁のチャンポンで通す意志の強さ。
これが鮎川誠の真骨頂なのだろうと思います。
ぼくのように彼の音楽が分からなくても、そんなことはあまり関係ない気がする。
そう思わせるほど、人間 鮎川誠は本当に魅力的だなあと感じます。


おっと、つい余計な話が長くなってしまいました。
10年前の「ただいま! 鮎川誠 “還暦” ロックンローラー ふるさとへ」。
ちょっと長いのですが、鮎川誠を知る貴重な資料です。
自分用の記録として、また皆さんにもご紹介したくて貼り付けたいと思います。
お時間があれば是非ご覧ください。よろしくお願いします!
3部作になっております。

■part-1(14分44秒)


■part-2(14分47秒)


■part-3(13分24秒)


最後におまけです。
これも単に自分用の記録です、誠に申し訳ありません^^;

■「You May Dream」完成披露試写会トークショー(8分21秒)


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年賀状の短信 [暮らし]

年賀はがきの当選番号が発表になりましたね。
皆さま、もう確認行為は完了しましたでしょうか?
我が家も照合チェックを終えまして、切手シートが当たっておりました。
だけど、郵便局に引き換えに行かないまま時が過ぎるんですよね、きっと。
毎年毎年の同じパターンにちょっと呆れてしまいますが(笑)

さて、今日のテーマは年賀状の短信です。
トシを取るに従い、年賀状に書いてある短信にも味わい深いものが増えました。
いくつかご紹介したいと思い写真を撮ろうとしたのですが、いざやろうとすると
名前や住所が写り込み、なかなか簡単じゃないことに気づきました。
で、結局、モザイクを掛けずに済むものだけを組み合わせたというテイタラク。
我ながらどうしてこうも無精者なのか。いかんよキミ。

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(年賀状の短信、手動コラージュ。笑)

年賀状です。
だから当たり前ですが、ほんの数行しかない本当の短信です。
でも目にした瞬間に、心の中には短くない返信がこだまします。
今日はそれを少しだけ書いてみたくなりました。


まずは右上から。
ぼくも人のことは言えませんが、ミミズが這ったような字のFさん。
もう何年も手書き文字を拝見していないように思いますが、今年もまた
プリンタ文字なのは相変わらずですね。
お酒方面一筋の真面目な性格で、運動などまったく無縁だったFさん。
畑仕事に喜びを感じるという昨年の短信に引き続き、今年は犬の散歩という
隠しダマにまたビックリ。加えて今年70歳!!に超ビックリであります。
Fさん、お元気で本当に何よりです♪

次、左上です。
久しぶりに拝見しました、大恩人Tさんの独特のこの字。懐かしい。
ぼくのおぼろげな記憶では、昨年までの年賀状に短信はなかったと思います。
その代わり、やや長文の携帯メールでしたよね。それも楽しみでした。
いつも仰ってましたね、「ボケたもん勝ちだ」と。
絶対に自分のほうが先にボケてみんなに迷惑かけまくるゾ、なんて。
ところが世の中、やっぱりそうそう甘くはないようですね。
最愛の奥さまと、どうぞ仲良く過ごされて下さい!!

最後は下段、今年最も印象に残ったKさんからの年賀状です。
いつも素晴らしい毛筆の年賀状だったKさん、今年はペン文字でした。
定年前に勇退されて介護事業を立ち上げられ、順調でしたよね。
やはり一番の懸案は後継問題だったのでしょうか。
これまで本当に長く頑張って来られたと思います。
ここで少しぐらいゆっくりされても、神さまには怒られないと思いますよ。
「自由人」という言葉、なかなか素敵な響きですね。
ぼくも程なく仲間入りかなあ・・その時は仲良くして下さいネ♪

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迎春 2018 [その他]

皆さま、
新年あけましておめでとうございます。
今頃になっておめでとうも何もないモンでありますが、まだ6日です。
ギリギリ松の内ってことで、何とかご勘弁下さいまし。
世の中、色々とあるんでございます^^;

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上の写真は、ようこせんせいに戴いたお正月飾り(編みぐるみ&書)です。
正月味の薄かった我が家に一筋の光が当たりました!
ようこせんせい、本当にありがとうございます!!


この年末年始、本当に酷い目に遭いました。
個人的なケチのつき始めは、12月下旬、一世一代の大勝負に負けたこと。
サラリーマン生活最後の大勝負、というよりも11年前の借りを返すべく挑んだ勝負。
極論すれば、ぼくはこの案件のために、この会社に戻って来たというのに。
残念にも程がある。無念は怨念に変わってしまいそうだ。

ちょっと力が抜けてしまったかもしれません。
でも人間だからなあ。力が抜けてしまったとしても、やむを得ません。
もちろん次なる目標がないわけではありませんが、今は失ったものの大きさに
改めておじけづいています。


■年末年始の振り返り

12月29日(金)
 仕事納め。
 朝起きた時からノドが痛かったが、仕事納めの日ぐらい元気に出勤したいではないか。
 しかし、そうは言ってもやっぱりノドが痛い。終日ノド飴のお世話になる。

12月30日(土)
 福岡県内某所に勤務する現地スタッフの陣中見舞い。
 超久しぶりに乗る西鉄大牟田線、なんか嬉しい。西鉄電車なんて、いつ以来だろう?
 40数年前、太宰府に住んでた頃はこんな立派な車両じゃなかったなァ(笑)

12月31日(日)
 午前中、福岡空港に息子を出迎え。31日の出迎えは久々だが客が少なくてやや驚く。
 その足でお墓掃除に向かい、帰りはいつもの寿司屋に親子3人で顔を出す。
 我が家の菩提寺は中央区今川というところにある。福岡タワーのすぐ近く。
 お墓のほうが、我が家よりもよっぽど都会にある。
 帰宅すると、ようこせんせいからの着荷(お正月飾り)のお知らせが。
 再配達をお願いし、さっそく玄関に飾り付けした。

1月1日(祝)
 大晦日から極めて体調が悪い。典型的な風邪の諸症状である。
 せっかく息子が帰省しているのに、酒の相手も出来ないというテイタラク。
 微熱しかない割りには、おせちをはじめ食べ物は全般的に苦く不味く感じる。
 新年早々、お年取り以外はほぼ布団の中という情けない状況。マジで泣けて来る。
 しかし2日は約束があって出掛けねばならぬ。我慢我慢。

1月2日(火)
 大分県某所に勤務する現地スタッフの陣中見舞い。
 事前に約束していたのでキャンセルするわけにはいかない。
 帰りの指定(JR在来線特急)が直前に取れたのは、奇跡としか言いようがない。
 やはり日頃の行いだろうか?(笑)

1月3日(水)
 山口県某所に勤務する現地スタッフの陣中見舞い。
 こんな体調だと分かっていたら、こんな予定は入れなかった。
 しかし、こんな馬鹿なことができるのも、これが最後かもしれない。
 そう思うと気がラクになるし、何よりも有り難いと思う。
 息子が翌午前中に帰京するというので、帰宅後、近所の神社に初詣に向かう。
 おみくじは親子とも「末吉」であった。何と控え目な人生であろうか。

1月4日(木)
 終日、布団から出られず。
 翌日は仕事始めである。一日寝て静養するのがベストな選択であると念じる。

1月5日(金)
 仕事始め。また慌ただしい一年が始まった。
 縁あって共に過ごすこの事務所のメンバーに、今年はどんな時間が流れるのだろう?
 みんないい一年になるように頑張ってほしいと願う。


今年は、正月恒例のしめ縄チェックも、新春ウォーキングも何もできていません。
悲しいよなあ。よりによって、こんな時に風邪ひいてダウンだなんて。

さあ、いつまでもグダグダ言ってちゃ笑われる。
来週からは心機一転リセットしなくっちゃ。

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メリークリスマスイブ♪ [暮らし]

本日12月24日、クリスマスイブであります。
例年、天皇誕生日である12月23日の翌日がイブにあたっており、
イベント的にも商業的にも極めて好都合だったわけですが、
退位される2019年以降、12月23日の取り扱いが決まっておらず、
それに連動して12月24日の運命はどうなってしまうのか?
ちょっと心配なような、どうでもいいような(笑)

というお話はさて置き。
我が家では、イブだというのに単なる普通の日曜日なのでありまして、
クリスマスケーキも無ければ特別な料理が食卓を飾ることもありません。
ちょっとぐらい何かあっても良さそうなモンだけど。
何だかなあ。やっぱりちょいと寂しいかも。

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(先日の大阪出張みやげ「りくろーさん」だけが辛うじてクリスマス気分^^;)

そう言えば、昔のクリスマスケーキはバタークリームでしたねえ。
数年前に記事にした、“クリスマスケーキを支給する高校”で配られたのも
バタークリームだったし(なにせ50年近く前の話だからね)、
当時はそれが当たり前だった。
その後、冷凍冷蔵庫の普及とともにアイスクリームのケーキになり、
豊かな世相を反映して生クリームのケーキになったのはご承知のとおり。
いつの間にか高級化、高価格化の一途というわけですね。

我が家ではどうだったのか?
我が家では、ぼくが単身赴任するまでは、普通にクリスマスケーキが
ありました。アイスクリームのケーキ、生クリームが出始めた辺りかな?
その辺でぼくが転勤になり、年末年始に帰省する関係で、クリスマスに
家に居ないことが多くなった頃から、カミさん&娘の連合軍が幅を利かせ
ケーキ離れが始まったようです。

その後しばらくはホールケーキからショートケーキに変遷したけれども、
ケーキそのものはあったようですが、いつしかそれも無くなってしまい、
クリスマスとケーキは疎遠になり、やがて無縁になったようです。
そして子供たちが巣立った後、ついにクリスマス自体も完全にお役御免。
今では何でもない、ごくごく普通の日になりました。

ま、いいんですけどね。
我が家は禅宗曹洞宗の仏教徒だから、基本的には関係ないし。
・・・なんてね、こんな時だけ仏教徒を持ち出して強がってみたりして^^;
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2017 ホークス日本一♪ [プロ野球]

今年はどうしようかなあと思ったけど、一応、日々の記録というのもあるし
やっぱり書き残しておくべきでしょ・・・と夢の中で言われたような(笑)
(という自己チュー記事につき、どうかお気遣いされませんように)

■日本シリーズ第6戦(ヤフオクドーム)
YDB 000 030 000 00 3
FSH 010 000 011 01x 4

福岡ソフトバンクホークス日本一、本当に本当におめでとう!!

今年は色々な意味で不思議なシーズンだったように思うけど、
その締めくくりも不思議な進行のゲームだったように感じました。

20171104-00000066-asahi-000-9-view.jpg
(朝日新聞デジタルより転載)


横浜DeNAベイスターズは熱く、とてもいいチームだった。
チーム全体が火の玉になって襲いかかってくる、そんな印象だった。
どうしてこのチームがセリーグで大差の3位だったのだろう、率直にそう思う。
しかし落ち着いて考えると、長いペナントレース、高いパフォーマンスを維持
して戦い抜くには足りない点が多いと感じたのも、また事実だ。

まあとにかく、ベイスターズにはミスが多い。
第6戦もホークス総得点4点の内、2点はベイスターズのミスによるもの。
記録上はエラーとの記載はないものの、ほぼエラーと言っていいものだった。
上手い試合運びをするチームなら、ひょっとすると勝ち試合だったのではないか?
このシリーズで何度こういう光景を見ただろうか。
西日本スポーツ担当部長、安枝さんは事前にこんな鋭い指摘をしていた。

「ホークスとの一番の違いは、野球に対する姿勢ではないか?
 例えば、外野手の守備位置への行き帰り。いつもキビキビのホークスを
 見慣れている我々には、だらしなくダラダラした動きにしか見えない。
 横浜球場で守備位置につく際、芝生部分を通れば良いものをわざわざ
 アンツーカー部分を通ってスパイク跡をつける。もしそこへ打球が飛んで
 イレギュラーしたら・・・とは考えないのだろうか」

このシリーズのベイスターズを観ていたら、昔のホークスとダブるような
場面が度々あって、何だか不思議な面持ちになった。
厳しい言い方をさせてもらうと、セリーグCSの勢いをそのままシリーズに
持ち込んだけれど、まだまだシリーズで勝てるチームにはなっていない。
しかし逆に言えば、その荒削りは伸び代でもある。
もちろん、プレーに対する魅力に溢れるチームであるのは言うまでもない。
自らを厳しく鍛え直して、来年、またこの場所に帰ってきて欲しい。
パリーグのファンも待っているものと思います!


さて、我らがホークスは、やっぱり素晴らしいチームだった。
そう、「強い」というよりも「素晴らしい」チームだと改めて思った。

初戦を大差(10-1)でモノにし、続く第二戦。
翌日は移動日で休み。翌々日からの敵地での3連戦を控え、勝って2-0で移動
するのか、負けて1-1に追いつかれて移動するのか?
この試合こそが、ぼくは重要なポイントだと思っていた。

初回に先制したものの、いわゆる「スミ1」状態で迎えた6回。
2本のホームランで1-3と逆転される。
7回、柳田のタイムリーで2-3と1点差に迫り、ベイスターズに守りのミスも
出てランナーが溜まり、結局2死満塁に。
迎えるは5番、中村晃。3球目打ちましたライト前、クリーンヒット!
3塁ランナー柳田に続いて2塁ランナー今宮も本塁突入!!
前進守備のライト、クロスプレーだ、タッチ・・・アウト!!!

201710300009_000.jpg
(西日本スポーツより転載)

ところが、そうです。リプレー検証、ビデオ判定。
「セーフとして2死2,3塁で試合を続けます」(責任審判 橘高さん)

※この時の今宮の走塁については、ベースボールチャンネルに詳しい記事が
 ありました。ここを参照。

横浜球場3連戦では1勝2敗と負け越しましたが、それはご愛嬌でしょう。
ビジターではホームにハナを持たせる・・・まさかそんなことはないと思いますが、
ベイスターズファンの皆さんも、完封勝ち(4戦)、接戦勝ち(5戦)とベイスターズ
本来の姿が観られて良かったと思いました。


ところで日本一を決めた昨夜の試合、試合開始は18時半だし、延長11回だし、
両軍投手は7人ずつ14人も出るしで、試合終了はほぼ23時でした。
その後セレモニーなどもあり、0時過ぎてもバスも地下鉄も大混雑だったとか。
翌日の今日が日曜日という気楽さも手伝って、昨夜は帰宅しなかった人も
かなりおられたようです。寒くなかったのかなあ?(笑)

2017年のプロ野球が終わってしまいました。
こんな時期まで応援できた2つのチームのファンは幸せでしたね。
ああ、だけど。今日から夜は何をすれば良いのやら?
最後にCS観戦時にもらった応援旗を貼り付けて終わりにしたいと思います。
全力! 1(ワン)ダホー!!

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(10月18日CS初戦、初のネット裏最前列での観戦・・・なのに2-3で負け)
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2017 SBHパリーグ優勝おめでとう♪ [プロ野球]

■おことわり
これは自分用の覚え書きのような類のものです。
ですから、nice! やコメントはどうぞ気にせずスルーしてください。
よろしくお願いいたします。

*** *** *** *** ***

何だか不思議な優勝だ。
2017年シーズン、何がこのチームを優勝に導いたのだろうか?
9月16日の優勝決定はパリーグ史上最速らしいが、ぼくから見たホークスは
戦績とは裏腹、少なくとも圧倒的な強さからは程遠い辛勝の連続だった。

YOMIURI_ONLINE_20170916-OYT1I50046-L.jpg
(宙に舞う工藤監督 読売オンラインより転載)

今年は近年になく、主力に故障者が続出したシーズンだった。
開幕早々、ムネリンが帰って来たのは嬉しかったが、昔の面影はなく・・。
すぐにスアレス、和田が肘にメスを入れ、今季はほぼ絶望・・。
武田や五十嵐も途中で脱落。
千葉ロッテからデスパイネを補強したものの、案の定の大型扇風機。
バンデンは相変わらず白星を積み重ねているが、イマイチ安定感に乏しい。
千賀は疲労が溜まっているのか、80球を越えるとガタッと球威が落ちる。
勝負どころを迎えて、ついに打の要・内川まで居なくなってしまった。

しかしパッとしない主力を尻目に、脇役陣は素晴らしかった。
投手の筆頭格は石川。千賀もそうだが、ホークスの育成はすごい!!
そして後半戦はモイネロ。まったくのダークホース。大事に育てて欲しい。
東浜と岩嵜は完全に一皮むけて、もう脇役陣ではない。
一皮むけたと言えば、森福が去った後の嘉弥真もそうだ。
ちょっと心配なのが森だが、森も良く頑張ってくれたと思う。

野手では今宮と甲斐が双璧だろう。
この2人の身体能力の高さは特筆モノで、今宮の守備力を打率に換算すると
(相手のヒットをアウトにした分、自分のヒットに充当換算すると)、
軽く4割超えになるのではないか。同様に甲斐の強肩を打率に換算しても
ゆうに3割を超えるのは間違いない。
そして上林、明石、福田、高田、川島。
本当に脇役陣は充実した2017年シーズンだったのではないだろうか。

相変わらずのベンチワークとピリッとしない主力陣。
それなのに、こんなにブッ千切った理由は主に2つあると思う。
①シーズンを通じて、ほとんど失敗しなかった盤石なリリーフ陣。
②ホークス以外の5球団で、面白いほど星のつぶし合いをしてくれた。

リリーフ陣は本当に見事と言う他はない。
なかなか気合いと根性だけでは、ここまでの結果は残せないと思う。
トレーニングコーチなど裏方さんのサポートも見逃せないのではないか。
そして何と言っても、サファテの日本人のような心意気だ。
例の「サファテ発言」でギクシャクするかと思ったら、まったく逆だった。
セーブ日本記録は、やはりダテではない。

MVPはサファテだろう。
他に有力な対抗馬は見当たらない。
30代後半にして、まだ進化しているように見える。
まさに優勝請負人。常識外れのすごい投手だ。
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2017 終戦記念日 [その他]

終戦記念日です。
今年もまたこの日、8月15日がやって来ました。
誕生日や記念日など色々な特定日があるけど、絞りに絞ってどれかひとつ
ということになると、新しい日本へ向けスタートを切ったこの日、8月15日。
やっぱりこの日しかない。ぼくはそんな気がしています。

だからかもしれません。自分でもビックリしたのですが、2011年から昨年まで、
6年も連続して終戦記念日に記事をアップしていました。
これはすごい! 今年で7年連続ってことです!(自画自賛!笑)
記事の内容はさて置き、こんな特異日は他にはありません。
本当に驚いた。こんなズボラな奴がよくぞこんなに続いたものです。

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(広島市の原爆ドーム。2015年8月27日に撮影)

終戦記念日になると、相変わらず頭に血が昇ることが起こります。
毎度のことなので、あまり言いたくないのですが・・

その壱:敗戦記念日と言いたがる輩がまだいる。
どうして殊更のように「敗戦」と言いたいのでしょうか。
心底理解に苦しむと同時に、絶対に許せない思いでいっぱいです。

その弐:閣僚の靖国参拝、ニュースにするようなことか?!
中露に気を遣ってか、今年はついに閣僚の靖国参拝は全自粛された模様。
自分たちを守ってくれた英霊を敬い、礼を尽くすことのどこが悪いのか?
気を遣いすぎることは、時として自らの誇りを傷つけることに繋がります。
来年は是非参拝して欲しい。参拝は日本人なら当たり前の話です。


さて、今年の終戦記念日は例年とはやや雰囲気が異なっております。
そうです、言わずと知れた北朝鮮のICBM問題ですね。
「戦争」という切迫した危機が身近なものになりつつある現実に気が滅入る・・
かと思いきや、まったく頭の隅っこでも心配してないというお目出度い方々も
少なからず世間にはおられる模様。おいおい大丈夫なのか、日本!!

富士山2016.jpg
(何はなくとも精神安定剤の富士山。2016年の春頃?に撮影)

ぼくは昭和29年3月生まれ、小中は公立(福岡市立)の学校でした。
第二次世界大戦について、ぼくが受けた子供の頃の学校教育のポイントは・・

①日本は経済戦争に逆ギレして身勝手な戦争を仕掛けた
②そもそも開戦自体が無謀であり、勝ち目のない戦争であった
③もし日本が勝っていたら、世界は日本式軍国主義が支配する地獄になっていた
④現在の豊かな暮らしは、敗戦日本を援助したアメリカのお陰だ
⑤戦勝国であるアメリカの自由主義は理想であり、正義そのものだ
 (以下、省略)

ぼくも長い間、こういう傾向の考えに押し流されていました。
ひとことで言ってしまえば、これらはすべてGHQの策略の結果ですね。

元々欧米のように自己主張が必要な民族ではないので、そういうことは不得意。
加えて、敗戦による気後れや申し訳なさも恐らくあったのでしょう。
赤子の手を捻るように受け入れてしまったような気がします。

しかし、もう完全に解き放たれて良いと思います。
もちろん、アメリカの多大なる支援のお陰で今日があるのは認めつつも、
今は麗しく正しく清い日本人を、自らの手で取り戻すべき時だと思います。

それにはまず、静かに眠る英霊に心からの感謝を捧げることが第一歩です。
きっと英霊が切望していたはずの戦争のない平和な世界のために。
頑張ろう、おれたち!!
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2017 盛夏 [その他]

暑中お見舞い申し上げます。
ここぞとばかりの蝉しぐれの中、皆さま如何お過ごしでしょうか。

毎日暑いけど来週はお盆だもんなあ、暑いのも当たり前ですね。
でも、昔もお盆の頃は暑かったけど、エアコンなんてありませんでしたよね。
そうなんだよなあ、昔はこんな体温に近いような、品のない蒸し暑さじゃなかった
ような気がするんだけどなあ。ぼくの記憶違いなんでしょうか?

今日は8月6日、広島原爆の日でしたね。
70回目の広島原爆の日だった2年前の今日、広島球場で行われた広島ー阪神戦は
ぼくにとって今もって記憶に新しいです。
試合開始10分前、一塁線上に整列して静かに黙祷を捧げるカープの選手たちは
全員が背番号86、ネームはHIROSHIMAのユニフォームでしたよね。
今年ももうすぐお盆、そして終戦記念日なんですね。

広島と言えば25年ほど前、呉市に長期出張(約5ヶ月)していたことがありました。
今現在の呉にはまったく詳しくありませんが、当時の呉は中国地区の雄 広島市
をものともせず、「呉は呉じゃ!」という独立独歩の気概と迫力がありました。
地方都市が軒並み苦戦してる中、呉の今はどうなんだろうなあ・・
あ、今日はその話じゃなかった。(笑)

2017年、呉市。
7月最後の土曜日だった7月29日に行われた夏まつりの海上花火大会。
その広報PRのために5枚のポスターが作られたんだそうです。
テーマは「海と空と、ふたりの間に。」
ネットでは大評判のようだから、皆さん先刻ご承知かもしれません。
さすがに評判になるだけのことはあります、素晴らしい作品ばかりですよね。
今日はその内の3枚を記録しておきたいと思い、ここに貼ろうと思います。

まずは1枚目。 ※以下、クリックで拡大
呉_海上花火大会①.jpg
何とも微笑ましい。自分にもこんな時代があったなあ・・
そう感じる人が多いのでしょう、このポスターが一番人気なんだそうです。
今のようなよく分からない時代でも、こういうものが支持されるんですね。
そう考えると、何となく意味もなく嬉しかったりするなあ。

次、2枚目です。
呉_海上花火大会②.jpg
「憶えてるけど、言わねえよ」
これに類すること、あるよねえ。って言うか、多いよねえ(笑)。
気持ち、よ~く分かります。分かるけど・・「言わねえよ」。

そして、最後の3枚目。
呉_海上花火大会③.jpg
「息子は笑って、花火を見ている。
 おれは笑って、息子を見ている」
ぼくはね、実はこれが一番好きです。もう圧倒的に断然これが好き。
息子の腰を支えている父親の右腕が何とも言えません。


いいなあ、花火大会。
皆さん、花火大会にはもう行かれましたか?
ぼくはこのところ何年も行ってない気がします。
大きな花火大会じゃなくてもいいから、今年は行きたいかなあ。
ちょっと心が和む花火大会。
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「黄昏のビギン」な夜 [音楽]

『黄昏のビギン』という名の昭和ド真ん中の曲をご存じでしょうか。
元々は1959年に発売された、水原弘のシングルB面の曲だったんだそうです。
もしそれで終わっていれば、多くの人がこの曲に出会わず仕舞だったと思います。

それから30年以上経った1991年、ちあきなおみさんがカバーしてCMに使われた。
それ以降はもうご存じの通りでしょう。名だたる大御所から気鋭の若手まで、
実に20人近くもの歌手が次々にカバーし、増殖はまだ続いているようです。

ぼくもはじめて聴いたのは何かのCMだったようなおぼろげな記憶がありますが、
今や有名になったこの曲には、数々の興味深いエピソードがあるようです。

最初はクレジットの通り、六八コンビ(永六輔作詞、中村八大作曲)で出来上がり、
水原さんのシングルB面曲になる前に、当時流行の先端だったロカビリー映画の
挿入歌として、現在の詞とは違うものが一度だけ使われている・・・とか。

映画で使われた後、なぜか八大さんが詞を全面的に書き直しており、現在の曲は
名実ともに作詞作曲中村八大の作品なのだが、どういうわけか八大さんの意向で
六八コンビのクレジットのままで今日に至っている・・・とか。

いずれにせよ、見るからに絶世の美女っ!というわけでもないのに、何だか妙に
心の奥底を占領される、不思議な魅力に包まれた麗人の如しと申しましょうか。
ひとことでは極めて表現しづらい、なかなか味わい深い曲だと思います。

『黄昏のビギン』



ちょうど1週間前の先週の土曜、22日のことです。
昔の同僚であるN君主催、故にN君の名前が冠された会が催されました。
参加メンバーは総勢20人ぐらいだったでしょうか。

「従来は居酒屋で開催していたのだが、今回は小さなライブハウスでやりたい。
 ついては〇ちゃん(ぼくの名前)参加なら、是非とも弾き語りを披露してほしい」

・・と、誠にありがた~いご依頼だったのですが、今は右手の小指が痛いのです。
それゆえ練習もロクにできないので、今回は聴衆としてのみの参加となりました。
もし次回があれば、その時は・・(なんて思わせぶりなことは言わないの!笑)

N君は何を隠そう趣味のバンドマン、それも現役バリバリであります。
彼の知己によりライブハウスのオーナー夫人(音楽教室のピアノの先生)や
北九州を中心に活動されているミュージシャンなどがご好意で参加されており、
それぞれ数曲ずつを聴かせてくれました。
そんな中、突然出てきてびっくりさせられたのが・・・

♪『黄昏のビギン』
③感動しました「黄昏のビギン」.jpg
(小倉・門司で活動中のミュージシャン Acoustic Duo cocoMaicoさん)

この曲をナマ歌で、ぼくははじめて聴きました。
楽器の音と人間の声だけというのは、カラオケ歌唱とは明らかに一線を画します。
うわー、こりゃすごい!! そう感じた瞬間、背筋には大電流が流れました。

マイク乗りのいい女性ボーカル、何とも言えず素敵です。
昭和の情感と言うのか、落ち着きと言うのか、艶っぽさと言うのか。
そして、ある時はパーカッションのひと味まで出しつつ控え目にバックを務める
このギターワークとの絶妙なマッチングとも、当然、無縁ではありません。
さすがはアコースティック・デュオと名乗るだけのことはあります。

最後に当日の様子の断片を、記録として貼り付けたいと思います。
(IさんやSさんの熱演は撮り損ねてしまいました。誠に申し訳ございません)

やっぱり音楽はいいなあ。生ギターもいい。いやあ、酔いますねえ。
その上、まさかナマ歌の『黄昏のビギン』が聴けるとは思わなかった。
N君、最高の夜をありがとう♪

--------------------
■7/30/2017 追記
本文で書くつもりがコロッと忘れておりましたので追記します。
『黄昏のビギン』の“ビギン”について。
これね、“bigin” ではなく“biguine”なんです。
つい身体が動いてしまう(笑)、2拍子系のシンコペーションですね。
以下、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説が分かりやすいので引用します。

(引用ここから)
ビギン
びぎん
beguine
カリブ海の西インド諸島に位置するマルティニーク島、グアドループ島
(現在ともにフランス領)に伝わる黒人系の舞曲。
軽快な2拍子で、後打ちのリズムに特色がある。またサクソフォーンなどの
管楽器も多用される。アメリカの作詞作曲家コール・ポーターのミュージカル
『ジュビリー』(1935初演)のなかで歌われる、ビギンのリズムを使用した曲
『ビギン・ザ・ビギン』Begin the Beguineが大ヒットしたことにより、
世界中に知られるようになった。
なお、1982年に同曲がスペイン人歌手のフリオ・イグレシアスJulio Iglesias
(1943― )によってリバイバルされ、ふたたびビギンが注目された。
[田井竜一]
(引用ここまで)
--------------------

①さすがです音楽教室先生の弾き語り.jpg②O君伴奏によるO君令嬢のsweet memories.jpg
さすがです音楽教室先生の弾き語り   O君伴奏によるO君令嬢のsweet memories

④A君による陶酔のJazzボーカル.jpg⑤音楽教室Rさんの飛び入り.jpg
A君による自己陶酔のJazzボーカル    音楽教室Rさんの飛び入り

⑥主催者N君、カッコ良すぎる現役バンドマン.jpg⑦最後はピアノも入って大盛り上がり.jpg
主催者N君、カッコいい現役バンドマン  最後はピアノも入って大盛り上がり

(於 西小倉 Kate Music Cafe)
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夏は来ぬ [暮らし]

先週の土曜、15日に2017年の山笠が終わったようです。
「終わったようです」なんて、取りようによっては何だか無責任な
言い方にも聞こえますが、ぼくは博多っ子ではないモンで。
そう言えば、生粋の博多っ子って誰がいますかね?

・漫画家の長谷川法世さん(漫画『博多っ子純情』、通りもんのCMも有名)
・チューリップのドラマー上田雅利さん(カラオケの定番は『博多っ子純情』)
・映画監督の川島透さん(地元のローカル番組にご意見番で出演中)
・コメディアンの小松政夫さん(地元では有名)・・・など

※例えば、タモリ(南)、武田鉄矢(南)、博多華丸(西)、財津和夫(東)の各氏は
 広義の福岡人であって、決して博多人ではありません。
 ちなみにぼく(西)もそのクチ。
 ( )内は、博多から見た各氏の出身地区の方角

山笠が終わると気分は一気に夏ですが、今年は梅雨明けが遅いですね。
このムシムシもいい加減ご勘弁願いたいものですが、もう真夏日も多いし
だからでしょうか、随分前からクマゼミまで鳴いてるし。
部分的には既にしっかり夏到来!って感じの今日この頃です。
というわけで、終わってしまった山笠ですが、気にせず記録します。(笑)

170622_081534rr.jpg
(博多駅前で準備中の十七番山笠~この時点では中身はまだ空っぽ 6月22日撮影)

170705_081349rr.jpg170706_165735rr.jpg
(博多駅前の十七番山笠 7月5日撮影)   (新天町の十二番山笠 7月6日撮影)

飾り山です。
絢爛豪華な飾り山は、すべて博多人形師渾身の作なんだそうです。
今年は偶然にも山笠展示期間中に天神に行く所用があったので、新天町の
十二番山笠を撮る機会に恵まれました。
こうして見比べてみると、博多駅の山笠が大きいのがよく分かります。
大きさの違いは、単に天井高の制限のためではないかと推測されます。

準備中の写真が大きく、本チャンが小さいのはどうしたことか?
そんな声が聞こえて来そうですが、世の中にはこういうことも多いのです(笑)
「本末転倒」・・・良い子のみんなはこうならないように気をつけよう!^^;


ところで、最近の新発見なのであります。
それはね、なかなか見つからなかった大阪土産の開拓!
月イチで大阪出張しておりますが、まあ何か買って帰ってやろうかな?
なんて人並みに考えるわけですね。
でもね、これまでの定番大阪土産って・・・

・赤福(大阪じゃないよね、これ)
・551のぶたまん(新幹線の中に臭いが充満します)
・たこ焼き(お土産か?笑)
・堂島ロール(昔、流行りましたね)
・ミニシュークリーム(独自性が薄い)・・・etc

何だかどれもイマイチなんだよね。
そんな中、待ちに待った、期待の新星が現れました!
その名も、『りくろーおじさんのチーズケーキ』!!

IMGP0011rr.JPG

スフレです、これ。なかなかだと思います。
これまでに3回買って帰りましたが、いまだに好評をキープ中。
りくろーさんの主な特徴は・・・

・めちゃ安!(ホール1個が685円税込み。2個買っても1300円強)
・本当に美味しい(笑)
・冷蔵庫で保存3日間はまったく問題ない

新大阪駅、新幹線中央口を出て直進、売店をひとつ通過したところにお店が
あります。なお、在来線側の集中店舗コーナーにもあるようです。
久々の大ヒットって感じ(インディアンうそつかない♪)
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Salut d'amour [音楽]

お久しぶりでございます。
たまたま見かけた動画を聴いて、ちょっと驚きました。
アンコール用の小品とは言え、大家でも気取ることなくこういう曲を
チョイスすることがあるのか。粋だなあ、いなせだなァ。

それにしても、何てチャーミングな演奏なんでしょうか。
否が応でも年齢は感じてしまいますが、それ以上に感じる年輪。
いやァ参りますね、チャーミングにも程があるよ。

2年ほど前に89歳の天寿を全うされたアルド・チッコリーニさん。
これは天に召される3年ほど前の2011年12月10日、86歳の時に、
活動拠点だったパリの演奏会でアンコールに応えた時のものだそうです。
甚だ失礼ながら、こんなご高齢まで現役バリバリとはすごい!

さりゅー だむーる
この時期、アンコールには好んでこの曲をチョイスされていたとか。
まるでチッコリーニさんご自身のピアニスト人生に対する『愛の挨拶』は
かくあるべし、そう仰っているかのようです。



全編で5分16秒。
お時間がある方は是非見て、聴いていただきたいです。
貴兄の大切な5分強、この動画に託してみるのも一興ですよ。

出だしはかなりスローなテンポ。
最初の2小節でいきなり不安がよぎります。大丈夫なんだろうか?
だけどそんな不安を持ったことが、すぐに恥ずかしくなってしまう。
一音一音を優しく、あるいは噛みしめるような指使いに見えます。
そして何よりも、出てくる音の瑞々しいこと!
曲名に恥じぬ、これぞまさしく音楽に対する『愛の挨拶』。

どういうことなのか、具体的なことは何ひとつ分からないのですが、
全身に何だかこう、じわーっと音楽が沁み渡って行くのだけはよく分かる。
存在感というのか、充実感というのか、高揚感というのか。
この気持ちをうまく言葉に乗せられないのが実にもどかしい。
でも十分すぎるほど感じました、なんて素晴らしいものに接したんだろう。
ああ、本当に幸せだなあ。

さすがはアンコール、実演奏は3分40秒ぐらいしかありません。
全編5分強の内、終わりの1分半は万雷の拍手がまるでシャワーのようです。
胸がいっぱいになります。総立ちの皆さんの気持ち、本当によく分かる。
ぼくも思わず、PCの前で拍手してしまいました。
そんな気になるから不思議なモンだよねえ。

86歳になるまでに、ぼくならまだ20年以上の時間が残っています。
こんな風に背中が曲がっても、こんな風に足もとがおぼつかなくても、
ぼくもこんな風にピアノが弾きたい。
このごろ右手小指が痛くて遠ざかってるんですが、心からそう思いました。
チッコリーニさん、本当に本当にありがとう♪
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2016 NPB-CSファイナル終了 [プロ野球]

■お詫び
 時節柄、プロ野球の話題であります。
 個人的な記録として書き残すことが主目的です。
 それゆえ、どうぞ遠慮なくスルーして下さい。
 お気遣いなきよう、よろしくお願いいたします。

          ***

20161016-00010023-fullcount-000-7-view.jpg
(Full-Count の掲載記事より転載)

ついに終わってしまった。
しかし変に勢いづいて勝ってしまい、まかり間違って3年連続日本一なんて
おかしなことにならなくて、それだけは良かったと思う。

やっぱりぼくは、今のままのCSのシステムには大反対である。
消化試合を無くしたい、興行的にも何とか成功に導きたいというのは分かるが、
1年間戦ったことの重大性をないがしろにしているとしか思えない。
たった数試合だ、2位・3位のチームが1位だったチームに勝つことも十分にある。
しかしだからと言って、それで日本シリーズ進出なんて、そんなのアリだろうか?
でも、今年はセもパもそうならずに済んだ。少しホッとした。

さて、今日のゲーム。
初回に4点取ったものの、終わってみれば、結局スミ4。
最初だけは花火が打ち上がったが、5安打で勝てるような試合ではなかった。
はじめは景気良かったが、その後はまったくの尻すぼみ。
今シーズンの戦いぶりをギュッと凝縮して、この1試合にまとめました・・・
まるでそう言わんばかりのゲームだったような気がした。

いくつかポイントがあったと思うが、一番は逆転された直後の5回表の攻撃。
2死1塁に四球の内川を置いて、長谷川がレフトフェンス直撃の2塁打を放つ。
3塁コーチ飯田は内川に本塁突入を指示したが、5m以上前で完全なアウト。
その裏に決定的な2点を追加され、以後は完全に気勢を削がれた。
確かに2死だからというのはあったが、5回、たった1点のビハインドという展開。
そして次打者は、初回の3ランで乗って来た松田という場面だ。
走者が柳田や本多というのならまだしも、内川になぜあんな無理をさせるのか?
今シーズン、飯田3塁コーチの判断ミスで一体何点を棒に振ったのだろう?
このコーチに託し続ける意味もよく分からない。

試合終了後、工藤監督は言ったそうだ。
「ぼくの力不足が一番の敗因」
まさにその通りだと思う。今日の試合など、まさに典型的ではなかっただろうか?
栗山監督の勝負にかける意気込み(執念と言えるかもしれない投手リレーなど)
はテレビの画面からもヒシヒシと伝わって来たが、今日の工藤監督にはほとんど
それは感じられなかった。そういう意味では極めて残念に思った。

それにしても、ラクな味を覚えるとこうも駄目になってしまうのだろうか。
今シーズンのホークスの敗因は、工藤監督の力不足と選手への複数年契約の
失敗に尽きるといっても過言ではないと感じる。
複数年契約を結んでほぼ額面通りに働いたのは、内川とサファテぐらいのもの。
まあまあだったのがバンデンと中田?
松坂を筆頭に摂津、五十嵐、長谷川、本多、松田、細川、と実にお寒い限りだ。

ともあれ、2016年シーズンが終わった。
この時期まで応援させてもらえて、本当にラッキーだったと思う。
来シーズン開幕までの半年間、何をして過ごそうか。(笑)

タグ:CS 終了
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優勝おめでとう、日本ハムファイターズ! [プロ野球]

■お詫び
 時節柄、プロ野球の話題であります。
 個人的な記録として書き残すことが主目的です。
 それゆえ、スルーしていただいてもまったく問題ありません。
 どうかお気遣いなきようお願いいたします。

          ***

20160928-00000101-dal-000-5-view.jpg
(写真はデイリースポーツより転載)

素晴らしい優勝だったと思う。
大谷の二刀流をナインが受け入れ、それを推進力にした。
こんなこと、普通だったらとてもできないと思う。
だけど、ファイターズは苦もなくやってみせた。
ここまでの道のりは、きっと平坦ではなかったはずだ。
しかし形にした。結果を残した。これは凄いことだ。

我が愛すべきホークスだって、ファイターズに負けないぐらいに頑張った。
ファイターズの優勝が決まった今日現在、ホークスの戦績は82勝53敗。
80勝超えで貯金も29。普通なら優勝ラインの勝率6割を軽く超えているのに。
でも相手が悪かった、ファイターズが並外れて素晴らし過ぎた。
こんな戦いをされては、さすがのホークスも為す術がない。

ファイターズ、そしてファイターズファンの皆さん、
優勝、誠におめでとうございます!!

パリーグ2016年シーズンは、ファイターズのためにあったも同然でした。
リーグ内の全球団に勝ち越したのは、真にリーグチャンピオンの証です。
CSでは当然ながらホークスを応援しますが、ファイターズが実力を発揮すれば
セリーグの覇者と戦うのは恐らくホークスではないでしょう。
そうなって欲しくはありませんが、ファイターズが力を出し切ることを望みます。
最後にもう一度。

北海道日本ハムファイターズ、そしてファイターズファンの皆さん、
優勝、本当におめでとうございます!!

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実りの秋はすぐそこ [プロ野球]

めっきり秋らしくなって参りましたね。
皆さま、如何お過ごしでしょうか。

田の稲穂たちは、既に十二分に頭を垂れておりますよ。
恐らく、稲刈り目前なのではないでしょうか。
早いですねえ。ちょっと前に田植えだったと思ったら、もうこんな風です。
春が来て夏が来て、秋が来て冬が来て。
1年はあっという間ですね。

160910_181323rr.jpg
(9月10日 自宅より約2kmの地点にて、ジョギング中の足休めに撮影)


さて昨夜、広島東洋カープがセ・リーグ優勝を決めましたね。
カープ関係者の皆さま、そしてこの日を待ちに待っていたカープファンの皆さま、
誠に誠に、誠におめでとうございます♪

19030098yoko_rr.jpg
(写真はベースボール・タイムズ社より転載)

広島カープは実にいいチームですよね。
昔から一本スジが通っていると言うか、ブレるそぶりがまったくありません。
だからと言うわけでもありませんが、25年ぶりの優勝と聞いて「え?そんなに??」
と思いました。

25年前というと、津田が急にいなくなった年(脳腫瘍で戦線離脱、その後死去)。
山崎隆造選手会長が「何としても優勝して津田をV旅行に連れて行くぞ!」と全員に
ゲキを飛ばし、多くの選手が涙ながらに奮起して優勝したのは有名な話ですよね。

昨年、広島球場に行く機会があり、たまたま津田の記念プレートを見ました。
プレートは、ダッグアウトと投球練習場のちょうど中間あたりに貼ってありました。
投手陣はおまじない代わりに今でもこのプレートを手で触って戦場(フィールド)へ
出陣するようで、プレートの下側半分が少しテカテカになってました。
記念にぼくもスリスリして来ました。(笑) 写真では分かりにくいかなあ?

⑥津田恒美プレートr.jpg
(津田恒美プレート 広島球場内にて、2015年8月28日に撮影)

⑦マンホールのふたもカープr.jpg
(球場近くではマンホールのふたもカープ坊や 2015年8月28日に撮影)

ところで、スポニチアネックスの記事に黒田投手のコメントが載ってました。
リンクを貼ろうと思ったのですが、リンク切れになるのが怖い。
というわけで、せっかくなので全文を貼り付けたいと思います。
スポニチさん、どうか大目に見て下さい。

-----------------------(転載ここから)------------------------

 夢のようで、出来過ぎかなという感じだ。メジャーリーグに挑戦した2008年。
覚悟を持って海を渡った時点で、カープに復帰する野球人生は想像できなかった。
ましてや、念願だったリーグ優勝を達成できるとは。涙がこぼれた。こみ上げてくる
ものがあった。

 いろいろ悩みながらも、もう1年やると決めて、まさかこういう結末が待っている
とは思っていなかった。41歳まで野球を続けてよかった。監督、チームメート、
そして応援していただいたファンの方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

 復帰1年目の昨季。結果は出なかったが、意識の高い選手が多いと感じていた。
驚きだった。今季の独走は、そんな若い選手たちが心技体で力を付け、チームを
引っ張ってくれた成果だろう。自分以外の投手の試合を見ていると、純粋にカープ
は強いと感じる。一緒にプレーしていると、一体感を肌で感じる。

 具体的に言うと、その試合、その一瞬に全力を尽くす姿勢。それが若手から
伝わってくる。それこそが、新井と僕の目指してきた野球だ。特に野手は、39歳の
必死な姿勢に感化されたと思う。差し出がましいが、僕たちが同じ野球観を持って
いたから、チームとしてまとまることができたのかもしれない。

 チームは基本同じ方向を向かなければならない。だが以前は残念ながら投手と
野手には溝があった。空気を変えたかった。大事なのは助け合う気持ち。互いを
リスペクトし言動や態度には注意を払う。投手、野手最年長の僕たちが、タッグを
組んでそれを実行してきた。今は溝がなくなったと感じる。

 今春オープン戦。二遊間を守るキク(菊池)と広輔(田中)が頻繁にマウンドへ
行く姿を見て「俺の時にも来てくれよ」と伝えた。「どんな状況でもいい。今だと
思ったら来てくれ」と。そうすると、投手が醸し出す雰囲気や試合の流れなどを読み、
チームのことを考えて動くようになる。彼らには自立してほしかった。以来、凄く声
を掛けてくれるようになった。感謝している。そういうささいなことが、チーム力に
なると信じる。

 07年までの苦しかった時代。新井と僕は何かを変えたかった。でも、力が及ば
なかった。お互い、チームを離れ、厳しい環境で生き抜いた。出ていった者が偉そう
には言えないが、外を見たからこそ学び、経験できたこともある。同時期にカープに
戻ったが、考え方はブレていない。僕たちの野球観は間違っていなかった。この優勝
でやっと証明できる。自己満足かもしれないが、今はそういう気持ちだ。

 この2年間、自分の投球には歯がゆさを感じてきた。先発ローテーションを任され
る以上、責任を全うしたいと思うが、気持ちと体が一致しないことが少なくない。
だが、どんなに苦しくても、結果を残さなければいけない。クライマックスシリーズ、
そして日本シリーズへ向け、持っている力の全てを出し切りたい。チームが勝ち、
ファンの人たちが笑顔になるように――。 (広島東洋カープ投手)

-----------------------(転載ここまで)------------------------

黒田は今年限りなのかなあ?
もう1年ぐらいコーチ兼任で残ったらどうなのかなあ?
昨日、タマスタ筑後(2軍戦)で投げた松坂とはエライ違いですねえ。

松坂、3回を投げて6四球1死球。オリックス2軍のお情けに救われて自責点はゼロ。
しかし内容的には、球威・制球ともに2軍でも通用しないレベルでした(ネット観戦)。
極めつけは3回表のオリックス2軍の攻撃、結果的には1死満塁から1塁ゴロで3→2→1
の併殺でチェンジだったのですが、松坂が3アウト目の1塁ベースカバーに入る時に
右股関節を痛めたようで、右足をかばいながらベンチに戻り、そのまま交代でした。
マウンドから1塁までのダッシュぐらいで股関節を痛めるようじゃなあ・・・。

松坂クン、晩節を汚すのもいい加減にし給え。
と言うか、黒田のツメの垢でも煎じて飲んだらどうなの?
あ~あ、最後はまったく実りのない話になってしまった。。(涙)

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2016 終戦記念日 [その他]

今日は終戦記念日。
もう71回目になるんだそうですね。
ウチのお義母さんは91歳だから、終戦の時は20歳だったんだ。
・・・なんてね、何故かお義母さんが脳裏に浮かびました。
人間って、時々、不思議なこと(説明できないこと)をするよね。(笑)

さて、今年の終戦記念日は月曜でありまして、普通なら出勤なんですが、
今年は何だか勤労意欲が湧かずサボってしまいました。
正午の黙祷の時間、家の中に居たのですがバタバタしておりまして、
その時がいつ来たのか分からないまま過ぎておりました。

終戦記念日は、当地ではお盆の最終日でもあります。
そして、いつもなら高校野球が真っ盛り。
終戦記念日は、送り火と高校野球の3点セットが例年のイメージです。
しかし今年はそれに、五輪というビッグイベントが相乗りしています。
五輪の戦いと終戦記念日・・・ナショナリズムが激突しますね。(笑)
で、どういうわけか、また、ある言葉が頭に浮かびました。

大和魂―
やっぱり五輪の戦いがそれを連想させたのでしょうか?
大和魂―
昔、藤猛という米国籍の日系人ボクサーがいましたね。
「岡山のばあちゃん、見てますか? 大和魂、ボク頑張ったよ」
しかし違うなあ、これじゃないなあ。(笑)

大和魂―
体操の内村さん、重量挙げの三宅さん。
柔道の井上監督にも本当に感動しました。
もちろん、錦織さんや競泳をはじめ多くの選手の方々にも。
メダルの色や数は異なりますが、そんなことは問題ではありません。
残念ながらメダルには届かなかったけれど、ぼくたちの代表として
日の丸を背負って戦ってくれた多くの選手の皆さん、本当に本当に、
本当に頭が下がる思いでいっぱいです。

そんな中、今日行われた卓球女子団体の準決勝。
我が愛すべき日本チームは、ドイツチームに2-3で敗れました。
この試合、ぼくはLIVEで観ていました。
まさに実力は伯仲。勝敗は時の運だったように感じました。
勝敗が決した後、応援団に向けた挨拶が下の写真です。

G20160815013172610_view.jpg
(スポニチアネックスより転載。左から伊藤、福原、石川の各選手)

写真は三者三様の表情を見事に捉えています。
涙に暮れる伊藤選手はまだ15歳です。
泣きたい気持ちは伊藤さんの10倍以上だったでしょう、福原選手。
そして茫然自失の石川選手。

「ダブルスも個人も落とした。負けの責任はすべて私にある」
そんなこと言わないでくれ、愛ちゃん!
キミは精一杯頑張ったよ。みんな、ちゃんと観ていたよ!!
正々堂々、胸を張って帰って来て欲しい。
キミにはその権利があるよ!!

今年の終戦記念日は、オリンピック色に染まってしまいました。
でも、それでいいんじゃないでしょうか。
平和な時代だからこそ、感動的な大和魂の発露に接する。
今年の終戦記念日はスポーツに感動した平和記念日でした。

*****

(追記 2016/08/17 2:00)
やったー!
やっぱり最後は天が味方してくれたみたいです!!
こんな時間まで起きて応援した甲斐があった。
女子卓球チーム、銅メダル本当におめでとう♪
9.jpg
(毎日新聞より転載)

*****

(さらに追記 2016/08/17 23:01)
この3枚の写真、時系列に並んでいます。
それにしても、何と象徴的なんでしょうか。
『銅』って、バラしたら『金』と『同じ』・・・
いやあ、凄いことに気がつくなあ。確かにその通りだ!
G20160817013184440_view.jpg
(スポニチアネックスより転載)
タグ:8月15日 終戦

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30年 [昔話]

ある出来事が起こって、昨日でちょうど30年が経ちました。
30年・・・おお、もうそんなになるのか!とは思うものの、
同時にそれなりに長い日々であったような、そんな気もします。

月日というものは、普段は特に大きな変化もなく過ぎて行くものだから、
目に見えない埃がゆっくりと降り積もって行くように、あまり意識なく時が流れ、
そんな風にして30年の月日が通り過ぎたのでしょうか。

あるいはまた、この30年の中には劇的なイベントもいくつかはあったから、
そこで気分も一新、全部とは言わないまでも部分的には確実にリセットされ、
再起動に気持ちを集中するなどしてターニングポイントを乗り越えている内に
昨日を迎えたのでしょうか。

IMGP0023r.JPG
(やっぱり和菓子、おふくろも喜んでるはず。笑 2月11日撮影)

この30年、いったい何をして来たのかなあ?
30年前、長男Yは1歳半でした。長女Tが生まれたのは翌々年です。
当時はまだ団地に住んでいたので、仏壇は団地サイズを買いました。
それからややあって、何を思ったのか建売住宅を見に行って衝動買い。
それが今の家です。だからもうすぐ、この家も築30年を迎えます。

家を買ってほぼ10年後、阪神淡路大震災の翌年に転勤辞令。
花のお江戸に6年半。前半の約4年は銀座、後半は品川でした。
この1回目の単身赴任生活は結構楽しかった記憶があります。
アメリカ同時多発テロ(9.11)の翌年に福岡に戻ったのですが、
その直前のお盆に空き巣に入られ、ビックリしました・・・

うーむ、なんて中身のない記憶の羅列なのでしょう。
キッチリ2週間に一度、同僚たちに「伝書鳩」とまで揶揄された帰省を
繰り返していた割には、家庭や子供たちの記憶は数えるほどです。
記憶の多くは、仕事やそれに付帯することが圧倒的。
嬉しさ半分、しかし寂しさも半分・・・いやそれ以上かもしれません。

こんなことを書き続けていても、何だか気が滅入るばかりです。
自分のブログに記事を書いて気が滅入るなんて!
それも超久しぶりの更新だというのに!!
何をやっているのでしょうか、我ながらアホすぎるなあ。


今日の福岡は青空が拡がり、穏やかな一日でした。
このところ寒い日が続いておりまして、そうでなくても生来の怠け癖が
顔を出し、まったく走れておりませんでした。
・・・そうだ、今日は走ろう!

というわけで、今日は今年になって初めてのランニング。
できるだけ長い時間走ることを主目的に、結果的には約90分12kmを
ゆっくり流して走ることができました。
走り始めは思ったよりもきつくて、最初は30分を目標にしたのですが、
走ってる内に足が勝手に動いてくれ、結局90分も走れました。

20分もしない内に汗が吹き出ました。久しぶりに大量の汗でした。
やっぱりランニングはいいなあ。
アタマの中はキレイさっぱり空っぽです。
気分はもちろん、すこぶる爽快!
健康に心より感謝!!
タグ:30年

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2015 終戦記念日 [その他]

お盆、8月15日、そして終戦記念日。
終戦の詔勅、俗に言う玉音放送が流れたのが昭和20年(1945年)8月15日の正午。
恐らくそれを意識してのことでしょう、日本武道館で行われる全国戦没者追悼式では
例年8月15日の正午に1分間の黙祷が捧げられています。
今年は何を思ったのか、私も黙祷を捧げたくなり、1分間、静かに頭を垂れました。

これまでこの黙祷を知るのは、NHKの夏の高校野球中継を観ていたからであって、
放送の中で必ず黙祷の場面が映し出されるからであり、決して全国戦没者追悼式を
意識してのことではありませんでした。
しかし今年に限っては高校野球はそっちのけで、正午のNHKニュース枠でやっていた
追悼式そのものに目が行きました。

ところが、地上波NHKの追悼式中継はほんのサワリだけで終わってしまったため、
慌ててBS-NHKに切り替えてその後の中継を観ました。
が、それさえも、安倍総理の式辞を前にして中継終了となってしまう有様です。
直後によほど重要な番組が控えていたのなら分かりますが、その後に放送されたのは
どうでもいいようないくつかの番宣などが約25分、そしてBSニュースでした。
唯一の強制有料放送局たるNHKの資質が疑われる気がしました。

20150807k0000m050058000p_size8.jpg
(8.6 広島原爆の日、全員が背番号86で黙祷するカープの選手たち。毎日新聞より転載)

1945年の終戦から70年。
終戦記念日を前にした昨14日、安倍総理による内閣総理大臣談話が公表されました。
戦後70年の区切りの年に談話を発表する意義がないとは申しませんが、正直に言えば、
なぜ談話を出さなければならないのか、私には明確なその理由が分かりません。
50年目(村山)、60年目(小泉)と前例があるから?
出さないと、逃げたと思われるから??

私は密かに心配していました。
直前の内閣支持率低下の報道により、「お詫び」を入れるだの「侵略」を認めるだの、
当初の予定にはなかったであろう不穏な雰囲気が流れ始めたからです。
しかしフタを開ければ、ほとんどそれは杞憂でした。

約23分間の談話
安倍さんはどこぞの某マスコミとは違い、我が国の総理大臣として終始冷静で、
堂々としていて、そして聡明でした。

下記に過去の談話の公式リンクを貼りつけます。
前回の2つの談話の内容がどうだったのか、読み比べれば一目瞭然です。
村山談話(平成6年8月31日)
小泉談話(平成17年8月15日)
安倍談話(平成27年8月14日)

年齢を重ねるに従い、終戦記念日への思いは深まる一方です。
そして今年の終戦記念日は、これまでとは少し違う「何か」を感じることが出来た
ように思います。
この平和な社会に感謝し、この先も戦争のない秩序の維持へ向け、個人で出来る
ことは何かを考えていきたいと思います。
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7月1日 午前8時59分60秒 [その他]

今日7月1日、午前8時59分59秒の1秒後に「8時59分60秒」(うるう秒)が挿入され、
本日は通常よりも1秒長い一日となりました。トクしたねっ♪
ニュースで大々的に報じられていたので、ご存知の方も多いと思います。
今のところ大きなシステム障害は発生していない(小さな障害はポツポツ?)
ようなので、まずは良かったなと思います。

9時前、NTTの時報サービス(117)を確認しました。
ただいまより8時59分50秒をお知らせします・・・
ピッ①ピッ②ピッ③ピッ④ピッ⑤ピッ⑥プッ⑦プッ⑧プッ⑨ポーン⑩
41秒・42秒・43秒・44秒・45秒・46秒・47秒・48秒・49秒・50秒

ただいまより9時ちょうどをお知らせします・・・
ピッ①ピッ②ピッ③ピッ④ピッ⑤ピッ⑥ピッ⑦プッ⑧プッ⑨プッ⑩ポーン⑪
51秒・52秒・53秒・54秒・55秒・56秒・57秒・58秒・59秒・60秒・9時00秒

おお、確かに~!!
8時59分20秒ぐらいからドキドキしながら指折り数える練習などをしまして、
来たるべき59分50秒に備えましたよ。
1秒挿入されたの、見事に実感できたなあ。こんなの初めて。(笑)
しかし、うるう秒の挿入は深刻なシステム障害を引き起こす危険性があるため
廃止が検討されているとのことです。危ないからもうやめようよ、と。
詳しいことはこちらとか、こちらとか。


さて、今日から全国的に7月なんだそうですね。
12ヶ月の内の6ヶ月が終わったわけだから、2015年も半分が終わったんですね。
うーむ、本当なのか?信じられない。どう考えても早い、早過ぎるよ。
早過ぎて時間もない上に相変わらず不調と来てるから、どうしようもないよなァ。
6月と7月の間にうるう月の挿入でも検討して欲しいものです。(←こらこら笑)

7月と言えば・・・
福博(福岡と博多を総称して地元ではこう言います、2つの地区は明確に異なります)
の街は山笠一色になります。
下の写真は6月19日に撮影した、まだ工事中の博多駅の十番山笠。
今日、1日からは垂れ幕は除去され、飾り山が一般公開されているはずです。
ぼくはまだ見てません。明日見ようっと。

ところで、昨年の博多駅は十一番山笠でした。
今年、なぜ「十番」なのか?・・・ということを過去記事で研究しました。
あの頃は随分ヒマだったんだなあ。(笑) ※コメント欄を参照
http://song4u.blog.so-net.ne.jp/2011-06-25#comments

150619_163216r.jpg

7月は全国各地で祇園祭が行われるのでしょうね。
そう言えば小倉の祇園太鼓も、打ち初め式は今日じゃなかったでしょうか?
博多祇園山笠。
山笠のあるけん博多たい!なんてCMがあったなァ。何のCMだっけ?^^;
ちなみに山笠は「やまかさ」です、濁りません。
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おふくろの誕生日 [その他]

今日6月14日は、おふくろの誕生日。
昭和5年(1930年)生まれだったから、生きていれば満85歳だったんだなァ。
今のご時世、85歳なんて、まだまだ元気なおっかさんも多いのにねえ。
おふくろ、誕生日おめでとう!(…って、故人の誕生日って意味あるのか?!^^;)

今日は一葉の写真を掲載してみようと思います。
昨日、全然違うことをしていて、たまたま古いアルバムが目に入りました。
パラパラとめくっていたら、昔懐かしい写真に思わず手が止まった。
こんなタイミングでご対面するなんて、これも何かの縁かもしれないと思いました。
まったく意図していないのに、本当に面白いことが起こるなあと思いました。

随分古くて、すごくちっちゃな白黒写真です。
古いアルバムには色々なサイズの写真が混在していますが、その中でも
これは最も小さい部類のものだと思います。30切ってヤツかなあ?
昭和29年生まれのぼくが3歳ぐらいの時のスナップだと思うので、
恐らくは昭和32年(1957年)前後のもの、60年近く前の代物だと思います。

おふくろとぼくです。
おふくろには掲載許可を取っておりませんので、一応イメージは残しつつも
本人の肖像権に配慮して(笑)、若干画像を加工させてもらいました。
もしも昭和32年ならば、おふくろは27歳ぐらいということになります。
うーむ、27歳のおふくろかァ。イメージ狂うなあ。(爆)


IMGP0247mzr.jpg

小さい頃のぼくは、おふくろにベッタリだったそうです。
中学生や高校生の頃、正月や冠婚葬祭などで親戚が集まったりすると、
たびたび冷やかされておりました。
この写真もそうかもしれません、ぼくの左手は、しっかりとおふくろの着物を
握りしめているような気がします。見えないところで。(笑)

昭和30年代の前半と言えば、映画『三丁目の夕日』前夜の頃でしょうか。
母はオーソドックスに和服で割烹着スタイル。そして左手には買い物かご。
時代考証的にはまさに典型的、絵に描いたようなひとコマのようにも感じます。
とは言え、ぼくの記憶には和装のおふくろはあまり登場しないけどなあ。

良く分かりませんが、これが普通の日常だったとは思えません。
折角こんなカッコしてるから写真でも撮ろう、というのもあったと思います。
だけどそれにしても、昔はこんな風情のある装いの日常が、そんなに特別なこと
ではなく結構そこここにあった、ということかもしれませんね。
何だか余裕だよなァ。気分的に、すご~く。

ところで、そもそも撮影場所はどこなんだろう?
おぼろげな記憶から推測されることは、恐らく福岡に引っ越す前、
まだ佐賀にいた頃なんじゃないかという気がしますが、もちろん何の確証も
ありません。永遠の謎です。聞いとけば良かったなあ。

ま、何はともあれ。
今日は大好きだった和菓子で、誕生日のお祝い(お供え)をしようと思います。
「そんなことしなくていい」という声が聞こえて来そうですが。
糖分や炭水化物を気にしなくていいから気が楽だねえ、おふくろさま!

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