WellnessLINK_2013年05月総括 [wellnessLINK_月次集計]
何事も、思い立ったが吉日とばかりに始めてみました。
生まれて初めての健康管理!(爆)
思えば「メタボ!」と言われ、逆上したのはいつの日であったことか?
2月の下旬から始めた、ほぼ毎日の体重測定と歩数データ収集。
4ヶ月近くを経過して、体重測定は依然面白くも何ともありませんが、
歩数測定はウォーキングの楽しみへと姿が変わりました。
歩くのがこんなに楽しいなんて、本当に分からないものですねえ。
OMRONからNTTdocomoへ管理主体が変わったWellnessLINK。
このデータ、残念ながら6ヶ月間しか保持してくれないとのことです。
ま、半年も経ったら、もう振り返って見ることも少ないと思いますが、
せっかくなので、消滅する前にどこかに保存しておきたい。
というわけで、ココに保存しておくことにしました。
2月は約10日分のデータしかありません。
3月はほとんどフルマークのデータですが、バラつきは否めません。
4月からはかなり一丁前のデータにはなっておりますが、
いまさら4月のデータをアップしてもなあ・・・
ということで、5月分から始めたいと思います。
今後、1ヶ月に1回、当該月の総括レポートをアップすることにします。
あいつ、真面目にやってるかな?・・・と、時々監視していただきつつ、
タマには叱咤激励などいただきますと、サボリ癖が影を潜めるかも?
では、よろしくお願いいたします!^^
生まれて初めての健康管理!(爆)
思えば「メタボ!」と言われ、逆上したのはいつの日であったことか?
2月の下旬から始めた、ほぼ毎日の体重測定と歩数データ収集。
4ヶ月近くを経過して、体重測定は依然面白くも何ともありませんが、
歩数測定はウォーキングの楽しみへと姿が変わりました。
歩くのがこんなに楽しいなんて、本当に分からないものですねえ。
OMRONからNTTdocomoへ管理主体が変わったWellnessLINK。
このデータ、残念ながら6ヶ月間しか保持してくれないとのことです。
ま、半年も経ったら、もう振り返って見ることも少ないと思いますが、
せっかくなので、消滅する前にどこかに保存しておきたい。
というわけで、ココに保存しておくことにしました。
2月は約10日分のデータしかありません。
3月はほとんどフルマークのデータですが、バラつきは否めません。
4月からはかなり一丁前のデータにはなっておりますが、
いまさら4月のデータをアップしてもなあ・・・
ということで、5月分から始めたいと思います。
今後、1ヶ月に1回、当該月の総括レポートをアップすることにします。
あいつ、真面目にやってるかな?・・・と、時々監視していただきつつ、
タマには叱咤激励などいただきますと、サボリ癖が影を潜めるかも?
では、よろしくお願いいたします!^^
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25歳の自立 [暮らし]
娘のT子がひとり暮らしを始めて、早くも一週間が経った。
87年7月下旬生まれの彼女は、現在、25歳。
これまで一度も実家から出たことがなかった。
彼女の兄、Y彦が就職して家を出たのが24歳の時だったから、
年齢で言えば、兄に遅れること1年で妹も独り立ちしたことになる。
4月の終わり頃だったかなあ、いきなりマンションの賃貸借契約書に
連帯保証人が要ると言って、署名押印してくれと言って来た。
前々からひとり暮らしをしたいと言っていたのは知っていたし、
それは言ってみれば、誰しもが考える至極当然の発想でもあるし、
ぼくには取り立てて反対する理由がひとつもなかったけれど、
唯一、カミさんの心境だけが心配だった。
(オキザリス。5月7日、福岡市博多区の藤田公園。昼休みの散歩中に撮影)
「30年経って、また2人になったね」
T子が家を出た翌日だったかなあ、カミさんがポツリと言った。
雰囲気的に、恐らく彼女は大きな意図もなく言ったのだろうと思うのだが、
ぼくには何故か妙に印象に残るひと言だった。
30年、そして2人に戻った・・・
時の流れというヤツは、振り返ってみれば、ある意味重くもあるけれど、
流れ流れている内は、何の滞りもなく過ぎて行くものなんだなァ。
ぼくはY彦にもT子にも、大きな大きな負債がある。
それは最も多感だったはずの彼らの中学生時代、仕事のためとは言え
単身赴任で家に居られなかったことだ。
更に言えば、彼らよりももっと大きな負債を、カミさんに負っていると思う。
そんなことをぼんやりと想いながら、T子のいない最初の一週間が過ぎた。
だけど、意外なほど大きな喪失感がないように思うのは何故だろう?
やっぱりカミさんが普段通りに見えるからなのかなあ?
ちょっと不思議な気がしています。
87年7月下旬生まれの彼女は、現在、25歳。
これまで一度も実家から出たことがなかった。
彼女の兄、Y彦が就職して家を出たのが24歳の時だったから、
年齢で言えば、兄に遅れること1年で妹も独り立ちしたことになる。
4月の終わり頃だったかなあ、いきなりマンションの賃貸借契約書に
連帯保証人が要ると言って、署名押印してくれと言って来た。
前々からひとり暮らしをしたいと言っていたのは知っていたし、
それは言ってみれば、誰しもが考える至極当然の発想でもあるし、
ぼくには取り立てて反対する理由がひとつもなかったけれど、
唯一、カミさんの心境だけが心配だった。
(オキザリス。5月7日、福岡市博多区の藤田公園。昼休みの散歩中に撮影)
「30年経って、また2人になったね」
T子が家を出た翌日だったかなあ、カミさんがポツリと言った。
雰囲気的に、恐らく彼女は大きな意図もなく言ったのだろうと思うのだが、
ぼくには何故か妙に印象に残るひと言だった。
30年、そして2人に戻った・・・
時の流れというヤツは、振り返ってみれば、ある意味重くもあるけれど、
流れ流れている内は、何の滞りもなく過ぎて行くものなんだなァ。
ぼくはY彦にもT子にも、大きな大きな負債がある。
それは最も多感だったはずの彼らの中学生時代、仕事のためとは言え
単身赴任で家に居られなかったことだ。
更に言えば、彼らよりももっと大きな負債を、カミさんに負っていると思う。
そんなことをぼんやりと想いながら、T子のいない最初の一週間が過ぎた。
だけど、意外なほど大きな喪失感がないように思うのは何故だろう?
やっぱりカミさんが普段通りに見えるからなのかなあ?
ちょっと不思議な気がしています。