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2011 今年の採点 [採点]

2011年の採点:88点。

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(長崎自動車道 大村湾PA上り線 11月16日撮影)

今年は職場も職種も変わり、その中でそこそこ頑張ったんじゃないかと思う。
だから少し甘めにオマケしてやってもいいかな?・・・という気になった。
80点でも85点でもない。88点だ。なかなか出ない点数だと思う。

点数の細かい根拠など、いちいち考えたりしない。
今年はそういうプロセスを必要とする年ではないと思う。
直感的に何点に思えるか?・・・それが重要だと思った。

2011年。
皆さんの心に刻まれているのは、やはり東日本大震災だろう。
当たり前のことなんて何ひとつない・・・被災された olived さんはそう書いておられた。
ぼくは幸か不幸か、そんな発想をしたことがなかった。
だけど、まったくその通りだと思う。

2011年は珍しく、まずまず合格点だった。
2012年はどんな年になるのだろう?
何が出来るか? どこまで出来るか? どんな風に出来るか?
もうひと頑張りしなくちゃいけないし、したいと思っています。
頑張ろう、おれたち!^^

最後に、ソネブロの皆さまへ。
こんなに重くてイライラする so-net も、気のいい皆さまのお陰で楽しい毎日です。
2011年は本当にありがとうございました。
そして2012年も引き続きよろしくお願いします!
では皆さん、良いお年を!
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Merry X'mas !! [昔話]

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今日はクリスマスですね。
クリスマスと言えば、我が母校(高校)関連の面白い話をご紹介しましょう。
2学期の終業式は大体23日前後だと思いますが、我が母校の終業式の会場には、
小さめの四角い箱が、うず高く積み上げられていました。
さて、その四角い箱とは・・・?(答えは後ほど)

ぼくはクリスチャンでもないのに、ひょんなことから、キリスト教系の高校でした。
先生にも神父さんがおられるような学校で、月曜の朝はミサから始まります。
学生の2割ぐらいは「神学生」という神父さんのタマゴで、当時、学校は山荘通りにあった
のですが、神学生の寄宿舎である「神学校」も、そのすぐ近くにありました。

ぼくが入学した昭和44年当時、全校生徒数は100人ぐらい。
1学年は約20人のクラスが2クラス、ぼくが入った頃の3年生は1クラスだったから、
全校でもわずか5クラスという信じられない構成でした。
よく言えば少数精鋭、悪く言えば不人気だったのかもしれません。

当時の我が母校はC紫女学園、福岡F葉、福岡C央と、女学生の大集団に囲まれており、
自転車通学のぼくも、雨でも降ろうものなら、女子だらけの城南線(路面電車)です。
いやあ、まったく肩身の狭い思いをしておりました・・・。(ホントかよ?)
あ、いつものようにちょっと脱線しておりますね。^^;

さて、四角い箱とは・・・そうです、クリスマスケーキ!(笑)
直径は、恐らく20cm以上あったと思います。
何の変哲も無い、普通の丸いケーキなんですよ、これが不思議にも。
ね? 面白いでしょう?? と言うか聞いたことないでしょ、こんな話。
クリスマスにケーキを配る高校なんて、ぼくは母校以外に聞いたことがありません。

ひとつには少ない生徒数だったから、こんな面白いことが出来たのかもしれません。
もらったケーキを大事に大事に自転車の荷台にくくりつけて、この日だけはいつもよりも
明らかにゆっくり目の速度で、注意深く家に帰ります。
悪い成績をケーキで誤魔化そう・・・決してそんな魂胆からではありませんよ。(笑)

そんな我が母校も、今年から校名が変わってしまいました。
随分前に移転して所在地が変わり、今年からは校名まで変わりました。
もう昔の面影はまったく無いって感じですね。何だか寂しいなあ。
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奇跡の映画『ある日どこかで』 [その他]

プロフ画像は何か?

・・・某所より、上記のご質問がありました。
プロフィールに簡単に記載(好きな映画は?の欄)しておりますが、折角ですから
もう少し詳細に記述してみることにします。

ひとことで言えば、大好きな映画『ある日どこかで』(原題“Somewhere In Time”,
1981年1月日本公開)に出て来たラウンド島灯台(Round Island Lighthouse)。
有名な五大湖のひとつ、この映画の舞台となったミシガン州はヒューロン湖に浮かぶ
マキナック島(Mackinac Island)、そのすぐ南に位置するのがラウンド島であり、
そのマキナック島側に突き出た岬にあるのが、今は退役したこの灯台です。
ちなみにこの灯台、デトロイトの新聞が選ぶミシガン随一の灯台なんだそうです。

roundislandLH.jpg
(“Somewhere In Time” 公式HP より転載)


映画との出会いは、皆さん色々だろうと思います。
十分な情報を持って、映画館でドキドキワクワクで出会った作品。
まったく情報無く、テレビの深夜映画劇場で偶然出会った作品・・・etc。
ぼくのこの映画との出会いは、ほとんど情報無く、まったくの出会い頭でした。

007シリーズの大ファンであるぼくは、『死ぬのは奴らだ』のジェーン・シーモアの
作品で、別の面白そうなものを探していました。
そこで偶然ブチ当たったのが、この『ある日どこかで』。
主演はクリストファー・リーブ、そしてジェーン・シーモアです。
当時はまだDVDはリリースされておらず、2003年にオークションで入手したのは
LD(レーザーディスク)でした。

落札したのは2003年の5月ごろでしたが、観たのは何故か夏でした。
正確な日付は憶えていませんが、初めて観た時の衝撃は今も忘れられません。
ところがこの作品、調べてみたら、1981年の1月に封切られたものの、不入りで
2週間と持たずに外されたんだそうです。分からないものですねえ。
でも、確かに81年当時では、流行りそうにない感じはします。ぼくも当時だったら
恐らく興味を持たなかったと思います。

そうこうしていたら、TOHOシネマズの偉いさんが、トンでもない企画を!
旧作、名作50本をニュープリントで、全国でリバイバル上映しよう、と!!
そして何と『ある日どこかで』が、その50本の中の1本に選ばれたのです!
この時の嬉しさは何とも言いようの無いものでした。

2010年2月6日(土)、午前十時。
千葉の市川コルトンで、81年以来、約30年ぶりの上映が行なわれました。
当日はみぞれ混じりの悪いコンディションでしたが、ぼくより高齢のファンの方も多く、
ああ、やっぱり30年前の映画なんだなあ・・・と改めて感じました。

作品については、詳しい日本版HPがあります。
よろしければ是非!
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大阪名物 たこ焼き [何だこりゃ?]

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今日は最近多い大阪出張。
写真は新大阪駅21、22番ホームにあるうどん屋さんです。
このうどん屋さん、当ブログには、随分前、とちょこっと前に続き、3度目の登場。

以前はたこ焼き入りうどんを、「明石焼きうどん」として提供されておりましたが、
好評につき、ついに、たこ焼きだけを別売りすることになったようです。^^
たこ焼き、6個で350円!
これって安いの? 高いの? 普通なの??(笑)

まあ、しかし。
大阪って本当に面白い街だと思うなあ。
たこ焼きを売ってるうどん屋さんですよ。それも新幹線のホームですから。
これって、ボケなのか? ツッコミなのか?^^;
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ホークスへの想い 3 [プロ野球]

さて、前回から随分と間延びしてしまいましたが、第3回目です。

78年のオフを限りに出て行ってしまったライオンズに代わって、
10年ぶりに来てくれたプロ野球チーム、それは浪花のホークスでした。
素直に嬉しい! これからは逃げられないように大切にしなきゃいけない。
だけど・・・。

あまりにも急な話で、みんな心の準備が十分出来ていない。
その上、馴染みも薄いので、レギュラー陣でさえも知らない名前があったりする。
さらにチームは弱い。特に投手力は壊滅的で、ストレスの残る負け方が多い。

記念すべき新生福岡ダイエーホークスの初代監督は、ジェントルマンの誉れ高き
杉浦忠さんだった。
だけど杉浦さんは、新球団となったその年限りの監督生活で、すぐにフロント入り。

二代目は田淵さん。知らない人のいない元ライオンズのスタープレイヤーだ。
丁度その頃だったと思う、地行浜(じぎょうはま:万国博覧会よかトピアの跡地)に
ドーム球場とリゾートホテルを建設するニュースがリリースされた。
軽く数千億のビッグプロジェクト。さすがは飛ぶ鳥を落とす勢いのダイエーグループ!
福博の街はみんな一様に驚いた。

1年目 89年:杉浦監督、4位(11.0) ※カッコ内は首位とのゲーム差
2年目 90年:田淵監督、6位(40.0)
3年目 91年:  同上  、5位(29.0)
4年目 92年:  同上  、4位(24.0)

杉浦監督、田淵監督の時代はタテ縞のユニフォームだった。
高名なデザイナーの作だと聞いたが、配色もイマイチだし、成績がパッとしないからか、
まったく強そうには見えず、却ってひ弱そうに見えた。
杉浦さんの1年目はまだしも、田淵さんの3年間は目を覆うばかりのBクラス。
必然的に、地元に根ざした雰囲気など、残念ながらまだまだ薄かった。

92年のシーズンを最後に、長らく親しんで来た福岡城址の平和台球場は役目を終え、
西へ約2キロ、地行浜に日本初の開閉式ドーム球場が誕生した。

93年はボロボロの平和台から最新鋭設備のドーム球場に変わり、監督も田淵さんから
根本さんに変わり、そしてユニフォームもタテ縞からシンプルなものに変わった。
しかし、相変わらずのBクラス。チームの成績だけはまったく変わり映えしなかった。

5年目 93年:根本監督、6位(28.0)
6年目 94年:  同上  、4位( 7.5)

93年のシーズンオフ、秋山がトレードで、小久保がドラフトでホークスに加わった。
94年オフには石毛、工藤がトレードで、城島がドラフトで加わった。
誕生当初は「福岡」という名前が付いただけの、実態としては大阪のチームだったが、
5,6年が経ったこの頃には、主力の選手たちもほとんどが入れ替わっており、
名実ともに福岡のチーム、九州のチームになっていた。

そして94年オフには少し次元の違う、飛びっきりのビッグニュースがあった。
それは、世界の王さんが監督として福岡にやって来るというものだった!

初めの頃の新聞報道には、誰もが懐疑的だった。
世界の王さんが、福岡みたいな片田舎に本当に来るのか?
そんなわけない、きっと何かの間違いだ・・・。
しかし、王さんは福岡にやって来てくれた。間違いなんかじゃなかった!

6年目の94年。チームの成績は4位だったが、成績は69勝60敗1分の勝ち越し。
貯金を持ったままシーズンを終えたのは、一体いつ以来なのか?
そんな中、元ライオンズの投打の要、秋山・工藤。そして王さんが監督。
おれたちのFDH(福岡ダイエーホークス)が、やっと花開くぞ!
翌95年のシーズン、悪くてもAクラス入りは間違いないと、みんなが思っていた。

7年目 95年:王監督、5位(26.5)
8年目 96年: 同上 、6位(22.0)
9年目 97年: 同上 、4位(14.0)

しかし状況に大きな変化は無かった。3年連続してリーグ最低の防御率。
そこそこは得点するものの、投手陣がそれを守りきることが出来ない。
結果を伴わないためだろう、王監督のギャンブルをしない手堅い采配(逆に言えば、
ワンパターンとも言える)にも、次第にファンの非難が集中し始めた。
過度の期待感がもたらす反動と言えばいいのか、暴徒化した心無い一部のファンは
王監督に生卵をぶつけ、「お願いだから辞めてくれ」などと醜い罵声を浴びせた。

早いもので、福岡ダイエーホークスになって、すでに丸9年の時が流れていた。
南海ホークス時代から指折り数えると、20年連続Bクラスという汚名である。
96年オフには井口、松中、柴原がドラフトで加わった。
97年には3年目の城島が3割を打ち、小久保が打点王を取った。
だが、ある種の諦めムードも漂っていた。


(part4に続きます)
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高潔無比 [富士山]

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2011年12月16日、午前8時55分ごろ。
駿河湾上空から見えた、初冬の富士山です。
手前の清水港、静岡市街がきれいに見えます。

昨日は晴れ渡って、澄み切っていました。
最近はいつも天気が悪く、こんなにきれいに見えたのは久しぶりです。
疲れる東京出張でも、朝から富士山にお出迎えしてもらって、もう気分は最高!
いつも至近で拝める人たちが羨ましいなあ。

さて、一気に冬の気配ですね。
こちら福岡でさえ、昨日も今日もグッと冷え込んでおります。
どうか皆さん、風邪など召されませぬよう。
タグ:富士山 初冬
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47番への惜別 [プロ野球]

ありがとう、今日まで本当によく投げてくれたと思う。
キミが投げると、いつもまったく打てない打線に、言いたいことは山ほどあっただろう。
しかし、それを考えることも、口にすることも、明日からはもう必要ない。

「信頼や愛情が無い」なんて意味不明のことを言わずに、早く移籍を決めてほしい。
そんな一言ひとことが、どれほどファンの神経を逆撫でしているか、キミには判らないだろう。
でも、まだ今のうちなら、いい思い出のほうが圧倒的に多いと思う。
長引かせても、何ひとつ得るものは無いからね。

マスコミによれば、ファンの8割以上がキミの残留希望だと言うが、それは違うと思う。
少なくとも福岡のファンには、そんな度量のある人間は多くない。
だから、一旦見限った選手を再度温かい目で見守るなんてこと、絶対に出来るはずがない。

毎年、全部がインセンティブ状態?・・・当然じゃないか!
キミたちはサラリーマンではない。だからこその高給ではないか!
キミたちは生粋のアスリートであり、そして勝負の世界に身を置くピュアな勝負師でもある。
それ故の厚遇、それ故の輝きだと思うのだが、ぼくが間違っているのだろうか?

来シーズン、仮にキミがホークスに残ったとしても、ぼくはそれを是としない。
悪い代理人にそそのかされた情状はあるが、ホークスの一員としてのキミをぼくは認めない。
悪く思わないでくれ。ファンというのは、そんなものなんだ。

ぼくは悲しすぎて、無念すぎて、信じられなくて、涙も出ないよ。
だけど仕方ない。いつかはやって来る、お別れの時が来たってことだ。
ありがとう、そしてさようなら。杉内!
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