四十九日が過ぎました [暮らし]
昨日、四十九日が終わり、無事に納骨も出来ました。
とりあえず一段落でしょうか、まだ終わっていない事務処理がありますが。
我が家のお墓は福岡ドーム近くの地行今川(※)という場所にあります。
佐賀県の武雄市(たけおし)というところに本来のお墓はあるのですが、
武雄はちょっと遠いので、母が亡くなった27年前に新しいお寺さんとの
お付き合いを始め、お墓も新しく建立しました。
27年ぶりに納骨することになり、石屋さんにも来てもらったのですが、
もっと簡単に納骨できると思っていたら、大間違いでした。
お墓の大きな石を2枚もめくって、やっと人間がひとり入れるぐらいの
開口が出現しますが、正装をして来たぼくたちに納骨作業は出来ず、
やむを得ず石屋さんにお願いしてやっと納骨できました。
まあ、考えてみれば、そんなに簡単に遺骨にアクセスできるようでは
それこそセキュリティはどうなってるんだ?ということにもなる。
お寺さんは24時間オープン、基本的にクローズなどはありませんから、
お墓にこそ十分なセキュリティが必要になりますよね。
写真撮ったけど、家族以外に見たい人はいないと思うので控えます。(笑)
納骨スペースを閉じる時、ぼんやりと考えてしまいました。
次にめくる時、恐らくそれは、ぼくが納骨される時なんだろうなあ、と。
しかし、誰だとしても、永久にその日が来ないで欲しいなあ、と。
(※)8月27日追記
地行だと思っておりましたところ、調べてみたら今川でした。
福岡以外の方は、どーでもいいよそんなこと・・・でしょうけれど。^^;
とりあえず一段落でしょうか、まだ終わっていない事務処理がありますが。
我が家のお墓は福岡ドーム近くの
佐賀県の武雄市(たけおし)というところに本来のお墓はあるのですが、
武雄はちょっと遠いので、母が亡くなった27年前に新しいお寺さんとの
お付き合いを始め、お墓も新しく建立しました。
27年ぶりに納骨することになり、石屋さんにも来てもらったのですが、
もっと簡単に納骨できると思っていたら、大間違いでした。
お墓の大きな石を2枚もめくって、やっと人間がひとり入れるぐらいの
開口が出現しますが、正装をして来たぼくたちに納骨作業は出来ず、
やむを得ず石屋さんにお願いしてやっと納骨できました。
まあ、考えてみれば、そんなに簡単に遺骨にアクセスできるようでは
それこそセキュリティはどうなってるんだ?ということにもなる。
お寺さんは24時間オープン、基本的にクローズなどはありませんから、
お墓にこそ十分なセキュリティが必要になりますよね。
写真撮ったけど、家族以外に見たい人はいないと思うので控えます。(笑)
納骨スペースを閉じる時、ぼんやりと考えてしまいました。
次にめくる時、恐らくそれは、ぼくが納骨される時なんだろうなあ、と。
しかし、誰だとしても、永久にその日が来ないで欲しいなあ、と。
(※)8月27日追記
地行だと思っておりましたところ、調べてみたら今川でした。
福岡以外の方は、どーでもいいよそんなこと・・・でしょうけれど。^^;
2012.08.15 終戦記念日 [その他]
今日も暑い一日でした。
67年前の8月15日も、やっぱり同じように暑かったのでしょうか?
未知なる太平洋戦争への思い。
どうして勝ち目の無い戦争に突き進んだのだろう?
途中のどこかで、手打ち(終戦)にすることは出来なかったのだろうか?
自分の命と引き換えの体当たり(特攻)なんて、そんなの無いよなあ・・・
いくら考えたって分からないことが堂々巡りします。
でも、ぼくはそれでもいいと、分からなくてもいいと思っています。
重要なのは、一年に一回だけど、このことをちゃんと考える時間を持つこと。
そのことこそが、過去へと繋がる唯一の道筋のような気がします。
戦争の話は、もっぱらオフクロとしかしたことがありません。
おやじと戦争の話なんか、したことなかったと思うなあ。
オフクロは言ってました、玉音放送は聴いたけど意味がまったく分からなかった。
それよりも本土決戦にどう備えるか、頭の中はそれでいっぱいだった、と。
皆さんの地域の護国神社でもそうでしょうか、今、福岡の護国神社では
勇敢だった英霊への感謝のお祭り、「みたま祭り」が行われています。
まだ若かった頃、「みたま祭り」の意味も分からず、ただただ提灯がきれいだから
という理由で、デートの場所に護国神社をチョイスしていたことを白状します。
今日、現役閣僚2人が靖国参拝をしたとニュースになってましたね。
若い頃は護国神社が何たるかも知らず、もちろん全国にある護国神社の総本山が
靖国神社だということも分からず、「みたま祭り」に参加してました。
そういうことだったのか・・・後になって知ることって、実に多いですよね。
でも百歩譲って、意味を知らなくても、結果オーライだったような気がします。
ぼくたちのために戦ってくれた英霊に手を合わせたことは、結果的だったとは言え
今にして思えば実に良かった。
・・・つくづくそう思っています。
67年前の8月15日も、やっぱり同じように暑かったのでしょうか?
未知なる太平洋戦争への思い。
どうして勝ち目の無い戦争に突き進んだのだろう?
途中のどこかで、手打ち(終戦)にすることは出来なかったのだろうか?
自分の命と引き換えの体当たり(特攻)なんて、そんなの無いよなあ・・・
いくら考えたって分からないことが堂々巡りします。
でも、ぼくはそれでもいいと、分からなくてもいいと思っています。
重要なのは、一年に一回だけど、このことをちゃんと考える時間を持つこと。
そのことこそが、過去へと繋がる唯一の道筋のような気がします。
戦争の話は、もっぱらオフクロとしかしたことがありません。
おやじと戦争の話なんか、したことなかったと思うなあ。
オフクロは言ってました、玉音放送は聴いたけど意味がまったく分からなかった。
それよりも本土決戦にどう備えるか、頭の中はそれでいっぱいだった、と。
皆さんの地域の護国神社でもそうでしょうか、今、福岡の護国神社では
勇敢だった英霊への感謝のお祭り、「みたま祭り」が行われています。
まだ若かった頃、「みたま祭り」の意味も分からず、ただただ提灯がきれいだから
という理由で、デートの場所に護国神社をチョイスしていたことを白状します。
今日、現役閣僚2人が靖国参拝をしたとニュースになってましたね。
若い頃は護国神社が何たるかも知らず、もちろん全国にある護国神社の総本山が
靖国神社だということも分からず、「みたま祭り」に参加してました。
そういうことだったのか・・・後になって知ることって、実に多いですよね。
でも百歩譲って、意味を知らなくても、結果オーライだったような気がします。
ぼくたちのために戦ってくれた英霊に手を合わせたことは、結果的だったとは言え
今にして思えば実に良かった。
・・・つくづくそう思っています。