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木蘭の涙 [暮らし]

2011年3月11日(金)。
天気が悪かったという記憶はないので、きっと天気は良かったと思う。
お昼を過ぎ、その時はやって来た。14時46分。

ぼくはJR品川駅港南口にあるビルの1F、エレベータホールにいた。
デスクは東品川にあったのだが、何かの打合せで品川オフィスに来ており、
当時まだタバコを吸ってたぼくは、1Fにある喫煙所から9Fの打合せ場所に
戻ろうとしていたところだった。
エレベータが到着してドアが開き、さあ乗ろうというその瞬間、
エレベータの照明が消えると同時に、聞き慣れない自動音声が流れた。
「地震です、エレベータを降りて非難して下さい。地震です・・」

IMGP0023rr.JPG
(庭のハクモクレン。本日3月11日、13時半頃に撮影)

このブログには何度も登場していると思います、我が家の白木蓮。
このところの暖かさが影響したのでしょうか、春の陽射しをいっぱいに浴びて
今週には咲きそうです。

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<追記 2018/3/18>
まっちゃんのご依頼により、満開のモクレンを再度掲載します。
しかしながら甚だ残念なことに、満開をとっくに過ぎておりました。
なにしろ大豪邸なので、モクレンの場所まで3時間ぐらいかかるのです(爆)

IMGP0003rr.JPG
(満開を過ぎたハクモクレン。上の写真の1週間後、3月18日の13時半頃に撮影)
-----


7年も前のことだとは思えないほど、とても鮮明に憶えています。
その後、次々と明らかになった津波の大惨事は皆さんご承知のとおりです。
当時ぼくは人事部におり、被害地域の社員の情報収集のために23時ぐらいまで
会社にいましたが、一段落したので帰宅の途につきました。

公共交通機関はすべてSTOP。
まあ、こんな大災害が起こってしまっては致し方ありませんよね。
東品川のオフィスから住まいのあった糀谷までの8kmぐらい、歩き慣れている
今なら何と言うことのない距離なんですが、当時は何の運動もしておらず
徒歩2時間は結構きつかったような気がしました。
それにしてもみんなどこまで帰るつもりなのか、真夜中であるにも関わらず
第一京浜(国道15号)は延々と徒歩帰宅組の大集団です。
正直、これはすごく心強かった。

信号機は消えていました。
警察官が交通整理していましたが、大渋滞。歩いたほうが絶対速い。
帰宅途中、沿線の靴屋を覗くと、運動靴は軒並み売り切れです。
自転車屋さんでは、「自転車は売り切れました」の貼り紙。
コンビニに立ち寄っても、パン・おにぎり・カップ麺の棚には何もありません。
寒さはあまり記憶にありませんが、空腹が襲って来たのはよく憶えています。
京急蒲田を過ぎて、環八沿いのお店に空席を見つけました。ラッキー!!
何を食べたか忘れましたが旨かった、生き返りました。

帰宅したら、1時をとうに過ぎていました。
電子レンジの上に乗せていたトースターが床に転がっていましたが、
それ以外に特に変わったことはありませんでした。
確か震度5強だったと思いますが、実に幸運だったと思います。

翌週以降もしばらくの間、電車はまともに動きませんでしたね。
エリアの広いJRはまだ理解できますが、どうしてエリアの狭い私鉄まで
JRに右へ習いになったのか、今でも理解できていません。
スーパーは薄暗くてヘンだし、日配品はもちろん品切れ続出。
ガソリンスタンドに行けば長蛇の列だったですよね。
計画停電、するぞするぞと脅かされてビビリまくりました。
結局、停電はなかったけどね。


皆さん、もう7年でしょうか。
まだ7年でしょうか。

この7年で変わったこと、変わらなかったこと。
・単身赴任地から、ホームグランドに帰ることが出来た
・グループ会社に5年間お世話になり、また元の会社に戻った
・娘が自立したいと言い、家を出た
・震災の年(2011年)の冬前に禁煙開始、既に6年以上を経過
・2013年2月のドックで指摘を受け、その年の春よりウォーキング開始
 その後、ランニングに進化
・朝の目覚めが早くなった、ほとんど目覚まし要らず

被災地の復興は、7年が経過しても未だ途上のようです。
大切なのは、こうして忘れないようにすることではないでしょうか。
みんなの「頑張れ東北応援団」という気持ち、決して色褪せてはいません!


何だか今夜は『木蘭の涙』が聴きたい。
よくスターダスト・レビューらしくないと言われるこの曲ですが、
ぼくはそんなことはないと思います。


(差し替えました 2021/01/07)

2万2千人を超える方々が犠牲になられたと聞きました。
心より哀悼の意を表したいと思います。

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hana2018

なんと、一番乗りでしょうか?
おかさん様のところでも書きましたけれど…あの大震災の日からは・・・もう7年、まだ7年・・・とは言え、直被災した訳でもない私など。
思えばまだ3月に入ったばかりのあの日、経験した事のない激しい揺れの連続、すぐには逃げ出せない私。
一人で屋内にいる怖さから、バックに薬、現金を詰めて駐車場の車の中本を手におせんべいをかじりながら、夫の帰宅をひたすら待っていた。ご近所の人たちはさぞかし変に思われた事でしょうけれど、そんなの気にしていられませんでした。
仕事で県の最北にいた夫は、それだけ震源地に近かったから、周囲の惨状にこれはただ事ではないと、すでに止まった信号を気にしながら急いで帰って来てくれました。
そうなるとやはり心配なのは、実家で一人暮らしをしている母の事。
その母は友人と近所の市民ホールで沢田研二ショーの観劇の最中であった。当然中止となったあとは自転車に乗って自宅まで。心配してくれたお隣の若奥さんが「スゴイ地震で生きた心地もしませんでした。大丈夫でしたか?」と言われ、それから足が震えたと言います。
都心に住まう息子夫婦も、有事のの際は真っ先に仕事である息子は、即日福島の地へ。
丸の内で働く身重のお嫁ちゃんは、SNSの情報から銀座線で無事渋谷まで帰れたと。家族全員と連絡が取れたのは一夜明けた5時過ぎでした。
その後もまだまだ寒さが残る中、あのバカバカシイ計画停電とやら、ガソリンの買い占め騒ぎとやら色々あったものの、被災された東北各県の方々からみれば、その程度の事。
2年後くらいに実際に宮城~岩手の海岸線を旅したものの、あの時はサスガに被災地の写真は撮らないと初めから決めていました。
それでも呑気な旅行者に見えたのでしょうね。何となく冷たい視線を感じたのは気のせいだったのかな。
昨春通過した仙台~いわき間の原発区域、人家は当然、人の気配は極端に少なく見えました。
…そういった意味では、まだまだ7年なのでしょうね。
by hana2018 (2018-03-12 11:16) 

まつき

ハクモクレン、立派ですね~! すごいっ(@_@)
これが全部咲いたら、迫力ありそうです!
是非是非、満開になったらUPして頂きたい!!
木蘭の涙を初めて聞いたのは20年前、海の中道で行われた、
スタレビと我が教祖様のジョイントライブでした。
ウチの教祖と根本さんのコラボの木蘭の涙もおススメですよ♪
軒並み削除されてますけど(;^ω^)
by まつき (2018-03-12 12:16) 

song4u

■hanaさま
 気合の入ったコメント、誠にありがとうございます!
 命にかかわるような重大な被災に遭遇された関係者の方々、
 あるいは財産の全部または一部を失うような被害に遭われた方々、
 そして、西日本のように被害の「ひ」の字もなかったような方々。
 3.11は人それぞれだったと思います。

 しかし、我が国では地震の被害から逃れることはできません。
 東日本大震災の16年前には、阪神淡路大震災がありました。
 九州ではこの5年後、4月16日未明の熊本大地震がありました。
 結局、日本のどこに住んでいようがほぼ同じことです。
 残念ながらこの日本には、安全地帯は存在しないと言えます。

 例えばこの3つの大地震、決定的な差は何だったのでしょう?
 答えは簡単ですよね。そう、津波です。
 そして、その津波が誘発した原発の事故です。
 原発は多くの水を必要とするため、多くが海沿いにあります。
 だから大規模な津波が発生すると、極めて危険な状態になって
 しまうのは致し方ありません。

 本文には書きませんでしたが、原発は本当に怖い。
 福島の事故が現状の程度で済んでいるのは、関係者の努力と
 奇跡が重なった結果だと私は思っています。
 放射性物質は、浅はかな知恵しかない人間が容易に手に負える
 そんなヤワな対象ではありません。
 例えば、プルトニウム239の半減期をご存知でしょうか?
 2万4千年ですよ、2万4千年!!
 2万4千年経っても、放射能は半分になるだけです。
 2万4千年未満で次の放射能事故が起これば、放射能はドンドン
 累積されていきます。仕舞いには地球は放射能だらけです。

 そんなことを考えていたら、7年なんて・・・ね。
 比べるべくもありません。
 原発の開発はもう止めにして、これからは放射能の密閉技術を
 より一層磨いて欲しいと思うのですが、どうでしょうか。
 これからの子供たちに、我々として何を残すべきなのか?
 少なくとも放射能を残したいなんて思ってる人、
 いるはずがないと信じます。

■まつきさま
 すごいって、もう何回も登場してる思うんですけど^^;
 満開のヤツも、昔UPしてなかったかなあ?(真偽不明)
 これね、実はウラのお宅に、散った花びらが入り込むんです。
 それを気にして、いつもならカミさんが剪定するんだけど
 今年はちょいと失念したようで、伸び放題。
 かなりマズイ状態で満開を迎えることになりそうです。
 ひと悶着、ないことを祈る(笑)

 >20年前、海の中道で行われた

 おお、海の中道を知ってるの?!(初耳だ)
 と言うか、教祖さまを海の中道まで追っかけたのかい!
 20年前と言えば・・・ふむふむ、経済的にも絶好調の頃?
 そうか、なるほどねえ。
 小田さんの映像管理は、何と言うか、行き届いてるよね。
 ほとんど跡形もなしって感じだモンね。
 ま、それが本来あるべき姿なんじゃないかと思うけど。
by song4u (2018-03-12 22:54) 

藤並 香衣

3月11日、関西でも大きく揺れました
復興の様子などテレビで見ていましたが
かなり進んだところもあればまだまだなところもあり
いまだ避難生活を続けられている方も多い
鉄腕DASHという番組に大きく関わられた三瓶昭雄さんも
故郷に戻られることなく他界されました
もういちど故郷の土を踏みたいと願っている人が
一日も早く戻れますようにと思わずにいられません
by 藤並 香衣 (2018-03-12 23:09) 

engrid

今にもはらりと花びらが開きそうな、白木蓮
その時どこにいて何をしていたのか覚えてますよ
ニュースの衝撃も、、
忘れられないですもの
たくさんのことを学び、それを生かしていきたいですね
ご都合主義でなくてね
木蘭の涙、むねにせまりますね
by engrid (2018-03-12 23:49) 

yakko

おはようございます。
テレビの映像を見た時は現実とは思えませんでした・・・
by yakko (2018-03-13 08:59) 

mutumin

私は、ちょうど旅行中だったので、テレビ、全然見てなくて7年前を意識していない生活でした。
が、こうして読んでみるとsong4uさんのウォーキングやマラソンをしてる理由がわかりました。普段畑をやって大丈夫だと思っていたけど、旅行して歩くといかに体が衰えているかを実感した旅でもありました。
まだ歩けるうちに、いろんな所を旅行して思い残すことなくしたいとも思いました。
自分で体験を若者と一緒にして、いかに飲み込みも筋力もなくなっているかが実感し、みんなに迷惑を掛けた旅でもありました。
良くはならないと思うけど、これ以上衰えないようにだけはしようと努力したいです。
by mutumin (2018-03-13 12:12) 

don

こんにちは。
7年の間の変化を読みました。
いろんなことがあったんですね。

7年はあっという間かもしれないけど、
大きな変化もありますよね。

地震とは違う話ですが、
昨日だったかキャメロンディアスがニュースになって。
あんなにキレイだった人が、だいぶ年を取ったなあって。
シャロンストーンもそう。
小泉今日子も。

自分も年を取るわけです。
ぼくですか?’’18 till I die!’’

おっと仕事しなくちゃ(笑)

by don (2018-03-13 12:49) 

song4u

■藤並 香衣さん
 関西でも揺れたんですか!
 震源は三陸沖なのに、凄まじいエネルギーを感じますね。
 先日の3.11関連のニュースでは、震災から7年も経つというのに、
 今なお7万人以上が避難生活を強いられていると報じてました。
 7年もの避難生活って、ぼくにはとても想像できません。
 恐らく、体力的にも経済的にも弱い高齢者が多くを占めているの
 ではないでしょうか。実に辛いですねえ、そういう話は。

 DASH村、時々観てました。
 浪江町の方でしたよね、三瓶さん。農作業の先生みたいな。
 DASH村が放射能汚染で立入禁止になってからは、何だか急に
 気が進まなくなって、あまり観なくなったように思います。

■engridさん
 今週は春を通り越して初夏のような陽気です。
 我が家のモクレン君もその辺の事情をよく理解しているようで
 いよいよ開花間近という雰囲気です。

 実は、ぼくは震度5の地震を2回経験しています。
 1度目は2005年(平成17年3月20日)に発生した福岡西方沖地震。
 その時の怖さの一端を下記に書いています。
 http://song4u.blog.so-net.ne.jp/2012-02-23
 そして2回目がこの東日本大震災。
 1度目の西方沖地震では、死の恐怖を感じました。デスクにいた
 のに動けず、デスクの下に潜ることさえできませんでした。
 恐怖というのは、そういうものだと思います。

 『木蘭の涙』は大好きな曲です。
 この日は、どうしてもこの曲を聴きたかった。
 スタレビ根本さんの声が何とも言えません。
 この曲には興味深い話があるのですが、今は相応しくないので、
 後日機会があれば。

■yakkoさん
 あの日の映像は自分の目を疑うようなものばかりでした。
 プロ用の機材じゃなくても、民生用でも映像の質が昔に比べて
 格段に上がっており、思わず目をそむけたくなります。
 悪夢のようでしたね。

■mutuminさん
 駄目じゃないですか、3.11に旅行中だなんて!(笑)
 50代ではそんなに感じなかった衰えですが、還暦を過ぎると
 感じる場面が一気に増えた気がします。
 早い話が、インフルで寝込んだのはたったの1週間だったのに、
 その1週間で早くも衰えを実感しましたからね。
 この時ばかりは、さすがにちょっと茫然としましたよ。
 ああ、いつからこんなにヤワになったのかって。

 昔ね、海外研修の時に添乗員さんに言われたことを思い出した。
 「リタイヤして旅行に行くんだと仰る方が実に多いんですが、
  旅行は体力を使うから、本当は若いうちなんです。
  だけど、若いうちは時間もお金もない。リタイヤされたら、
  時間もお金もあるんだけど、今度は体力がない。
  体力がないと楽しいはずの旅行も楽しめませんよ」

 でね、あまり言いたくないんだけど、トシを取ると周囲に迷惑を
 かけないように、ということを特に意識し始めますよね。
 でもなあ、そういうことを考えようとしている自分がイヤです。
 衰えたくないよねえ。何とか粘ろうね、お互い。

■donさん
 7年って、やっぱりアッと言う間だと思います。
 振り返ると、色々なことが起こってるからそれなりだけど、
 でもやっぱりアッと言う間だという気がします。
 きっと人生全体もそういう感じなんじゃないですかね?

 C・ディアス、ヘッドラインに出ていましたね。
 若い頃、美貌を独り占めにしていたような人は、加齢による衰え
 をどんな気持ちで受け入れているのでしょう?
 時は残酷ですよね。でも、これで平等なのかもしれません。
 “18 till I die!’’って・・・こらこら!(笑)

 まだ12:49なのに、仕事しちゃ駄目ですよ。
 なんやかんや言いながら、donさんも企業戦士なんだなあ。
 でもね、・・・
 さて問題です。
 ぼくはこの後、何を言いたかったのでしょう?^^;
by song4u (2018-03-13 21:35) 

olived

春ですね〜 白木蓮 蕾が膨らんで、楽しみですね。
もう7年、まだ7年…うーん、どっちかなぁ。
私自身はお陰様で、家族ともども元の生活に戻ることができています。自家用車が水没した以外は大した被害がなく今に至ります。
津波直後の悲惨な光景は給水車に水をもらいに行く時の道中、ガソリンを入れるために行列しにいった道にあって脳裏に焼きついています。現在は、地元の海岸はだいぶ整備が済み、その周辺の住宅がなくなり海岸線に沿って立派な公園になりました。海水を被った田んぼは塩分除去作業が終わり水路の工事中。仮設住宅は撤去されて跡地が復旧され、高台などにできた宅地には被災者の新しい住宅が次々に建てられています。商業施設や宿泊施設が建ち、おしゃれなカフェなども出来、外からの集客に努力しています。前進はしているように見えます。
でも、毎月広報誌に空間放射線モニタリング状況が掲載されます。
まだ、7年なのかな。。。
by olived (2018-03-13 21:42) 

song4u

olivedさん、こんばんは。
春ですねえ・・・と言うか今日なんか、最高気温23℃!!
いつも昼休みは30分前後のウォーキングをしてるんですが、
こんな気温になると、ボチボチ汗が気になって来ます。
春と言うよりも、もう初夏という感じ。暑かったなあ。

震災から1週間、直接被災したわけではありませんでしたが、
毎日の電車、買い物、食事と不自由を強いられた東京でした。
ところが次の週に帰省して、異次元の光景に唖然としました。
地元福岡では驚くほど何事もない、ありきたりでいつも通りの
ごくごく普通の日常が、当たり前のようにそこにあったのです。
これが同じ日本なのか?!
心の底からそう思ったのが、まるで昨日のことのようです。

もう7年なのか、まだ7年なのか。
もちろん対象によって、その判断は分かれるんでしょうね。
そしてそこには、様々な想いがあるんだろうと思います。
着手が容易なものに対する復興は、適切に迅速に着実に行われて
いるのではないでしょうか。
着手が容易ならざるもの、その最大のものはやはり放射能汚染に
関連するもの・・・それは衆人が認めるところだと思います。

モノ的な復興もさることながら、一番大切なのは被災者の皆さん
の精神的な、心情的な復興ではないでしょうか。
復興の実感を、1日も早く味わっていただきたいです。
by song4u (2018-03-14 21:13) 

NO14Ruggerman

もう7年も経つのですね。
song4uさんがあの大災害を東京で迎えられていたとは意外な気がしました。
私は名古屋におりました。
オフィスビル10階の窓の外に目をやると向かいで建設中のビル屋上のクレーン車があり得ないほど左右に移動しているシーンはリアリティが感じられず映画の一コマを観ているようでした。
1ヶ月半後に業務で石巻を訪れましたが、瓦礫の光景は何度もテレビで見せられていたので免疫力があったものの現場の「におい」には辟易とさせられました。
大災害を直接体験した訳ではありませんがこんな経験談でも後世に語り継ぐ義務があるのかなぁと感じます。

by NO14Ruggerman (2018-03-15 11:47) 

song4u

ラガーさん、毎度♪
当然と言えば当然なんですが、3月11日の時点で既に4月1日付け
の異動は決定しておりました。だから震災があと3週間遅かったら、
あんなに怖い目に遭わずに済んだのに~^^;
なんてね、ちょっと不謹慎な発言でした。
スイマセン!!m(_)m

ラガーさんはね、ぼくの中では今でも名古屋というイメージ。
何たって、三河だったかなあ・・・例の100kmウォークですよ。
今でもあの印象がものすごく強烈に残っています。

>映画の一コマを観ているようでした

何もかもがそうだったような気がしますよね。
品川駅の駅ビルが、ゆ~っくりと揺れているのを見ていたら
何だか酔いそうな気分になりました。
だけど、言われてハッとしましたよ。
映画みたいだったから「におい」という概念は一切なかった。
さすがは現場経験者、映像だけ人間とはワケが違います。
そうか、においかあ。今まで誰も触れてくれなかったなあ。

今は緊急地震速報なるものがあるから、ある程度は事前に
心の準備ができるかもしれないけど、昔はそんなものはなくて、
いきなり揺れ始めて「何だ何だ?」と思ってるうちに数秒経って
ようやく現状認識(地震だ!)ができるというテイタラクで。
もうその時には強烈に揺れてる最中だから、とても机の下に
もぐり込むなんて余裕もなくて。

・・・と言ったようなことも、経験してるから言えるわけでね。
そういう話って、すごく大切なことなんじゃないかと思うんですよ。
語り継ぐ義務? 当然じゃないですか、大アリだと思いますよ!!
by song4u (2018-03-15 22:15) 

よーちゃん

私もその時は品川の会社にいました。
ビルの11階にいたので、かなり大きな幅で揺さぶられた記憶が。
けっこうでかいレーザープリンターがぶっとんだり
棚の書類が全部、ぶちまけられたり、壮絶でしたわ。
当時、広報部にいたんで、仕事柄すぐにオフィスにあるテレビをつけ
次々流れてくる空撮映像にあぜんとしましたわ。

その後、横浜方面の友人と3人で歩いて帰ろうとしたのも
今となっては、懐かしい記憶です。
でも、現地の皆さんにとっては多くの犠牲者のでた
たいへんな出来事であるし、我々関東の人間も決して
記憶を風化させてはいけませんよね。。。。

あれから7年。。。私も個人的にいろいろあったけど、
元気で生きていられる、いや、生かされていることに感謝して、
日々を悔いなく暮らしたいと思います。


by よーちゃん (2018-03-16 18:08) 

ゲンさんおかさん

「もう」か「まだ」かと我が身に問いただすと、
ある事では「まだ」であったり、
別の事では「もう」だったり色々です。

可笑しかったのは、あの地震の後、
中学時代の悪友が、
長く続いていた(らしい)不倫関係を清算した事です。
死後発見された時、彼といたのを
家族に知られるのが怖かったというのが理由だそう。

地震後、結婚する人も多かったと聞きますから、
有事の際、頼りになるのは
家族や友人との絆だと、いうことでしょうね。
by ゲンさんおかさん (2018-03-17 09:45) 

song4u

■よーちゃんさま
 こんばんは。深いコメントありがとうございます。
 品川の会社・・・日常的にお世話になっている超有名なK社さん、
 よ~く存じ上げておりますよ!!
 港南口は不思議に縁がありまして、20数年前から知ってます。
 その昔はNTTデータのビル2棟と水産大学、食肉市場以外には
 何もなかったのですが、2000年前後に始まった大規模再開発から
 一気に様変わりしたと思います。

 >今となっては、懐かしい記憶
 
 本当はそういう表現を使うべきではないのかもしれませんが、
 ホントそうですよね、そういう印象が非常に強い気がします。
 何をするにも、どこへ行くにも、あのとてもショッキングな夜は
 見ず知らずではあるものの、常に大勢の人たちと一緒でした。
 中でも真夜中の国道15号の大行進は、今でも忘れられません。
 今までに経験したことのない、まったく先の見えないような場所
 に身を置いている割りには、不安はほとんどありませんでした。
 人間、ひとりじゃないというのは自分が自分でいられるというか、
 すごく有り難いことなんだなあとつくづく思いました。

 よーちゃんさんも、転勤にお子さんの巣立ちなど大変でしたね。
 ぼくは心の師匠でもあるよーちゃんさんに遅ればせながら(笑)、
 細々とランニングも始めまして、軽音や落語、寄席文字などを
 見事にソツなくこなされる大師匠の足元にも及ばないながら、
 ぼくはぼくなりに何とか日々を全うしたいと思っています。
 そのためには、まず何はなくとも心身ともに健康であらねば。
 頑張りましょうね、お互い!

■おかさんさま
 こんばんは♪
 対象によって「まだ」だったり、「もう」だったり。
 画一的にどちらか、なんてことは絶対にないと思います。
 でもね、百歩譲って、そんなことはどっちでもいいと思う。
 大切なことは、定期的に振り返ること、決して忘れないこと。
 ぼくは心の底から本当にそう思うんです。

 しかし、この後のおかさんの書き込み、これはすごいなあ。
 こんな話、はじめて聞いた気がします。マジで。
 中学時代の阿久悠さんって、おかさんの同級生ですよね?
 するってーと、ぼくともほぼ同年齢ってことになる。
 それでいて「不倫関係」ですか?!
 ほー!!
 そりゃすごい、大したもの、ご立派、アンタが大将♪

 これね、決してイヤミじゃありませんよ。
 正真正銘、掛け値なし、真っ向勝負のホントの気持ちです。
 ある側面、せっかく人間に生まれて来たんだ、いざとなれば
 コトコン行けよ、トコトン行ってその先に何があるのか?
 それが見えれば生まれて来た甲斐もあるってモンだ―
 なんてね。あれ、何言ってるんだろう、ワタシとしたことが。
 きっとこれはスッキリ旨い芋ロックのせいだ。
 まっことスマンですm(_)m
by song4u (2018-03-17 20:54) 

はなだ雲

昨日たまたま近所の公園へ
木蘭の花を撮りに行ったのですが
写真を撮ってるあいだじゅう
スターダストレビューの曲
「木蘭の涙」がアタマのなかをぐるぐる巡ってました
by はなだ雲 (2018-03-18 10:02) 

song4u

雲ちゃん、こんばんは。
一昨日の金曜日は月イチ定例の大阪出張でした。
いつものように新大阪駅からオフィスのある西中島南方方面へ
歩いていると、大通りから一本入った街路樹のハクモクレンが
それはそれは見事なほどの満開模様でした。
それに引き換え、我が家のモクレン。気がつけばとうに満開を
過ぎておりました。いったい、いつの間に?!^^;

3.11の頃、西日本では白木蓮が見頃になります。
梅や桜に隠れてしまって、今まで全然結びつかなかったのですが、
7年目にして、今年ようやく『木蘭の涙』に辿り着きました。
もしも雲ちゃんの脳裏に、この曲を思い起こさせるきっかけを
作ったのだとしたら、これ以上嬉しいことはありません。
そんな風に言ってくれて、本当にありがとう♪
by song4u (2018-03-18 21:58) 

yoriko

ご無沙汰しました。
7年前の3月11日、地震の後につけたテレビの映像を観て一体これはどこの国を映しているのだろうと思ったのを覚えています
確かに長く強い揺れは感じましたが物が落ちるということもなかったのでテレビで初めて被害の大きさを知りました
水の力の強いことに今更ながら驚いたのも確かです
まだ仮設住宅暮らしを余儀なくされている方もいる現実に胸がつぶれる思いです。そしてご家族の行方が分からない方もまだいらっしゃいます
1日も早く温もりのあるご家族の元へ帰れることを願うばかりです。
by yoriko (2018-03-19 19:27) 

song4u

yoriko先輩、お久しぶりです。
7年の月日は、長いようでもあり、短いようでもあり。
オギャーと生まれた赤ちゃんは、7年経つと小学生です。
中学1年生が7年経つと、二十歳の成人式を迎えます。
十人いれば十通りの7年。百人いれば百通りの7年です。

暴れ水、怖かったですね。
テレビの画面の中で起こっていることが、あまりにも現実離れ
しているような気がして、すぐには実感が湧きませんでした。
だけど得体の知れぬ怖さだけは、直感的に伝わって来ました。
その後も長い間、余震が続きましたよね。
揺れてないのに揺れてるような錯覚が常にありました。
ずっとビクビクして過ごしていた記憶があります。

yoriko先輩、少しは元気になられましたか。
虹色のパレットファンはみんながみんな心配していました。
そして恐らくは何事かが起こってしまったのであろうことも、
みんな予期していたことと思います。

いつだったでしょうか、ベランダでセミの飛来を待っている
マルちゃんの後ろ姿の写真が掲載された記事がありました。
いつもは何匹も捕まえるのに、今年は一匹も捕まえられない。
独眼竜になったマルちゃん、心なしか後ろ姿が寂しそう・・・
そんな意味のことを書いてあったのが思い出されます。
天国のマルちゃんに、合掌。
by song4u (2018-03-19 22:07) 

まつき

おぉ~、大豪邸でたどり着くのも大変の中、追記の画像、
ありがとうございます!(^^)!
>もう何回も登場してる思うんですけど
これだけ大量の花画像は見たことがなかったような(・・?
by まつき (2018-03-20 10:49) 

song4u

まっちゃん、お疲れさま♪
そうなんですよ、なにせ大豪邸だからね。あはは。

>これだけ大量の花画像は見たことがなかったような(・・?

うん、確かにそうですね。
載せてもアップ気味のヤツだった可能性が大です。
だって、こんなに引いた画ってあんまり面白くなさそうだもん。
だけど今回はbefore-afterって感じに並べる主旨ですからね。
前の写真が引いて撮ってたから、バンやむを得ず(笑)

さて、お彼岸とともに、いよいよ桜のシーズン到来ですね。
1年間、地道に準備して来て、一気にぶわっと咲く桜。
その潔さが何とも言えません。
カメラ片手に、思わず挙動不審になっちゃうよね^^;
by song4u (2018-03-20 13:03) 

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