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思い出の公衆電話 [昔話]

以前の記事で、金曜の夜はどこか仕事を引きずってる所があると書きました。
だけど今は、ちょっと訂正したい気分。
最近は仕事の負荷が大きくなり過ぎてて、土曜の夜は既に仕事がチラ付き始めてる。
我ながら何だかなあ~と思うけれど、事実だから致し方ありません。
よって、憂い無く何でも好きなことが出来そうなのは、金曜の夜にシフトってことで。^^;

IMGP0190r.JPG
(北近畿タンゴ鉄道:宮福線沿線風景、2011年8月20日撮影)

最近、単身赴任された“r”さん。
そして、ご主人の海外赴任に伴って、つい先日渡米された“k”さん。
特にkさんの先日の記事は、情景が目に浮かび過ぎてビンビン来ました。
カルチャーショックはあるし、色々なことにも不馴れだから意のままにならず落ち着かない。
あるいはまた、そんな中で多くのことをイチから始めなければならない面倒さ。
状況の詳細は違えど、ふと、昔の自分を思い出してしまいました。

プロフィールにも書いたとおりです。
15年半前に、ぼくは1回目の単身赴任に見舞われました。
学生時代は家から通っていたし、就職しても相変わらず家から通勤してました。
自宅からの通学・通勤に拘ったわけじゃありませんが、偶然そうだったんですね。
だから「ただいま~」と帰宅して、「お帰り~」の返事がないのはまったくの未体験領域。
それまでが恵まれていたんだと言えば、確かにそれだけの話かもしれませんが。

当時は、大ブレークしてニュースにもなったwindows95がリリースされた頃。
i486(DX4)からPentiumマシンへの移行が始まった頃、自宅のPCの増設メモリは1枚が
大体8MB(今を2GBとすれば1/250)という頃です。
windows95のお陰で、パソコン通信からインターネットへの拡大が進み始めたものの、
PCにはLANポートはおろか、今では誰も使わないようなモデムさえも装備されておらず、
外付けの56Kbpsモデムにピーピーガーガー言わせながら、23時からのテレホタイムに
10~20Kbps(今を10Mbpsとすれば1/500~1/1000)ぐらいでダイヤルアップ接続
してたような原始時代です。
圧縮し忘れた添付ファイル付きのメール受信に、1時間以上掛かったりしてました。
あ、脱線してますね。話を戻しましょう。(笑)


風呂は自分で掃除しなければ、誰もしてくれる人はいない。
メシは自分で作るか買ってこない限り、忽然と出て来るなんて金輪際あり得ない。
もし目覚ましを掛け忘れたら、いつ起きるかは成り行き任せだ。
宅配便を受け取ろうにも、配達可能時刻に帰宅できずに受け取れない。
うず高く積まれて行く食器や洗濯物、これらは一体、どうすれば良いのだ?
何事も、未経験ゾーンというのは、人を不安と焦燥に陥れます。
慣れてしまえば何てことないことでも、瞬間的には途方に暮れさせるに十分です。

引越の日の夜だったか、次の夜だったか。
家に残して来た、その頃小5の息子と小2の娘に電話しました。
段取りが悪くて電話工事が済んでなかったし、携帯電話も持ってなくて。
もちろんネットは自宅にしかありませんから、当然のように外の公衆電話からです。
その頃は今と違って街中に公衆電話があったけど、それでもマンションからは歩いて
4,5分は掛かったかなあ。

まず、手持ちの十円玉を全部かき集めました。
次に、パチンコ屋さんで2,000円を百円玉に両替しました。
あの頃は電話料金が高かったのかなあ、2,000円分の硬貨はあっという間でした。
あと500円でも千円でも、どうして両替しとかなかったのか!
などと悔んでみたところで、結局いくらあっても一緒だったと思いますけどね。

しているのは他愛のない話、どうでもいい話ばかりです。
だけど他愛ない話であればあるほど、どうでもいい話であればあるほど、
何だか随分遠い所へ来てしまったんだなあ、という後ろ向きの気持ちになりました。
子供たちのためにも頑張らなきゃいけないとは思うものの、おれは本当に頑張れる
のだろうか・・・という思いが複雑に交錯しました。
ま、当然ながら、お父さんは頑張ったわけですが。(笑)

思い出の公衆電話というには、あまりにショボ過ぎる話ですよね。
だけど、今はもう無くなってしまったあの日の電話ボックス周りの夜の風景や、
暗がりの中の曇り空、まだ4月初旬の肌寒さ・・・
それらが渾然一体となって、いまだにかなり鮮明に残ってる気がします。
もう15年も前のことなのに。
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こしひかり

時差もあって、一番乗りですね~やったー(^u^)!
(長々と書いている間に一番でなくなっているかも。。。)
kさんです。 

公衆電話。 なんだか切ない情景が浮かびますね。
お父さんは、頑張りましたね~(笑) 
うちの父も単身赴任の時代が長く、こういう思いをしていたんだろうなぁ
と今更ながらちょっとかわいそうになってきました・・・
もうすぐ引退なので昔のハナシですが。

ここまで意のままにならない自分、というのを初めて見た・・・
という感じですね。 人の手を借りないと買い物にさえ行けない。
会話が聞き取れない。 でも、時間だけはけっこうあって。。。 ^^;

日本の家族と他愛無い会話をしたら、泣いてしまいそうです (>。<)
by こしひかり (2011-10-29 05:59) 

mutumin

私は中学から自分の物は自分で洗濯して、自分の部屋を掃除してたから、大学生で東京に行ってもそんなにギャップは感じなかったけど、洗濯機から手洗いになったので、ジーパンは小さい台所に立って、足で踏んでいました。多治見にいて、焼き物を勉強してた時は、今の主人と離れていたので電話で話すのに公衆電話で十円玉300枚、400枚集めて持って行って話してました。十円玉の落ちる事の早い事。話をしてるんだか、十円玉入れてるのかわかんないくらいでしたよ!(笑)
今の電話代よりかなり高かったと思います。特に離れていれば、離れているほど・・・
この記事を読んで、私の貧乏時代を思い出して懐かしくなりました。
by mutumin (2011-10-29 06:58) 

rtfk

お早う御座います^^)
まさに単身生活中です(^^)
オマケに来週は1日だけ地元へ日帰りするという意味不明な予定が(汗)
自分は学生時代一人暮らしだったのでその間に自分のことをするのは
慣れましたがいまさら一人暮らしは少々面倒臭く感じております。。。
でも慣れるのでしょうね。。。お書きになっていらっしゃるように
子供たちのために家族のためにお父さんは頑張らねば~!
の心意気だけです(^m^)
こうしてブログ活動?で息抜き&癒しの時間を
過ごさせていただいています。
おっとコインランドリーが仕上がる時間なので失礼します~(爆)

by rtfk (2011-10-29 07:59) 

mag

ぶわははははははは

兄さん 一人暮らしは本当に思い出すだけでもうんざりよ
今だって一人暮らしはしたくない

でも、日本国内ならまだ良いけど海外単身赴任なんてなれば
死んじゃうよねぇ〜〜〜
という事で
来月、ソネフォト時代の単身赴任中の死にそうなお友達の処へお力添えに行ってきます 私が行っているときは良いけど、帰国したらそれこそブルーになっちゃうのにね

どんな苦難も結局は自分の鍛錬、修練という結果になるので
結果オーライだけど、その最中、目覚める前は本当に地獄だわ
そういう事をさせる企業の無惨ってどうおもいます?
仕事に海外生活 二重苦って当事者にしか判らない無情よね
今回、私は初日に現地ガイド雇って生活のレクチャしてもらうつもりですが企業はそうゆう生活ガイドを一時期雇って、単身赴任中の人の生活のhow toを教えるシステムも考えた方が良いと思うけど
by mag (2011-10-29 08:01) 

tamanossimo

「ショボい」なんて・・とんでもない~っ
泣けてくるような思い出ね・・・♪
by tamanossimo (2011-10-29 10:11) 

yakko

お早うございます。
単身赴任ってタイヘンですね〜
うちは一度も単身赴任をさせていません。転勤が多いにもかかわらず
全部付いていきました・・・ただ子供たちにとっては大迷惑だったでしょう〜 ! 今でも自分の故郷は何処???と言われてしまいます。
でも行った先々でその近くを観光出来ました。子供も子供なりに新しい学校で処世術(?_?)を身につけたようで、一度もいじめとか のけ者とかに遇ったことはありません。結局どちらが良いのか分かりませんが〜
by yakko (2011-10-29 10:36) 

mymy

いやあ、こういう話に一番弱いですね。Nice押し放題ならもっと押すのに…。
by mymy (2011-10-29 10:45) 

enpoko

単身赴任、お疲れ様でした。
なんか切ない思い出ですが、いい話ですね。
私の父も単身赴任は13年くらいしてました。
song4uさんと違い、赴任地が生まれ故郷だったものだから
ものすごく楽しかったらしくてあまり戻りたがりませんでした。
私はそんな生活に慣れていましたが、
母はかなり寂しかったのではないかと思います。
by enpoko (2011-10-29 13:09) 

musselwhite

頑張って居るのですね…
家族と離れて生活するって、心身共に辛い事ですね…。
私が就職する時の泰一条件は(贅沢ですね)転勤が無い事でした。
転勤族の父に連れられて高校に入るまでに7回も転勤して歩いたのが大変嫌だったので自分の子供に同じ思いをさせたくなかった…。
mymy さんの言われる様に、何回もniceを押したい気分です・
by musselwhite (2011-10-29 14:32) 

そらへい

本当にかつての公衆電話にはドラマがありました。
彼女に告白しようと電話したら、10円玉が足りなくなって
慌てたり・・・北海道の友人に電話したら
用意していた100円玉が滝のように音を立てて落ちましったけ。
by そらへい (2011-10-29 18:02) 

ポルン

単身赴任って大変ですよね。
私は、父親の転勤に伴って高校生の時2年間親元を離れて親戚に一人でいました。
高校の転校って簡単にはできないですからね。

by ポルン (2011-10-29 18:50) 

song4u

皆さん、こんばんは!

今日のパリーグCS第1戦は面白いゲームでした。
勝負事には流れというものが確実にありますね。
それを再認識した今日のゲームだったように思います。

さて、本文には書き忘れたけど、電話で子供たちに「寂しくないか?」
みたいなことを言ったと思います。
だけど本当に寂しかったのは、恐らく、ぼくのほう。
あの頃、本気でテレビ電話買おうと考えたぐらいだから。(汗)

■ひかりちゃん

おはよう!&一番乗りありがとう!^^
夜中に記事をアップしたら、最初に見てくれるのはひかりちゃんという
確率が、かなり高いかもしれませんね~。

そうかあ、ひかりちゃんのことを深く考えずに書いちまったなあ。
今頃になって、ちょっと反省しておりますが。(遅~い!)
あの記事を読んだ時に、イの一番にこのことが思い出されましたよ。

>ここまで意のままにならない自分

うーむ。
でも、こればっかりは仕方ないよね。
少なくとも、ひかりちゃんのせいじゃないのは間違いないし。
文化が違い、習慣が違い、そして言葉が違うわけですからね。
同じものの方が圧倒的に少ない環境ですから。
だけど、アメリカ人は絶対に日本語を喋ってはくれませんからね。

階段は一歩ずつ上りましょう。
ちょっと歩幅の違う階段もあるだろうけど、だから一歩ずつね。
暗い時は懐中電灯も持って行きましょう!

■mutuminさん

mutuminさんも、なかなかの苦労人だったんですね~。
だけど中学生の頃からなんて、正直言って驚きだなあ。
大学でひとり暮らしをした人って、かなり多いですよね~。
ぼくもそういう欲望が無かったわけじゃないんですが、なぜだかそうは
ならなかったです。それで特に不満も無かったし。

多治見って、岐阜の多治見なんでしょう?
mutumin窯のルーツは美濃焼きだったのか!なるほど~。
で、十円玉だったら、そりゃ速いでしょうね。
百円玉だって、「ブー」って鳴るのにそんなにインターバル無かったから。
しかし、300枚、400枚って、電話ボックスのどこに置いてたの?(笑)
by song4u (2011-10-29 20:42) 

song4u

■rtfkさん

まさに、ですよね~。
と言うか、本文中の“r”さんと言うのは・・・、ね?^^;

でね、ぼくもありましたよ、地元への日帰りという困惑のスケジュール。
素通りなんてのもあったなあ。週の初めとか週末とかだったら、まだ策は
あるけど、週の半ばだと、どうしようもないですよね。

言わずもがなではありますが、心意気だけはお願いしますね。
最終的には全部そこへ収束するんだから。でしょ?

掃除、洗濯、メシは本当に面倒ですよね。
だからぼくは、息抜きと思ってやってましたよ。
特にメシ。これは見事にハマリましたね。面白いし、楽しいもん。(笑)

■mag姉さん

姉さんも、学生時代ひとり暮らし組だったですかね?
ひとり暮らしがそんなにツライとは思いませんが、やっぱり緊急避難的な
要素が強いのは間違いないと思いますね。

今の日本ほど、単身赴任に優しい(問題が少ない)国は無いんじゃないか?
11年やったぼくの実感で言うと、そんな風に思います。
最初の15年前はそうでもなかったけど、今や全然問題ありませんよ。
クリアすべき課題が本当に少ない。全然問題ないモンね。
そのことが一番問題じゃないかと思うぐらいです。

海外赴任者用にガイドさんというか、アドバイザーさんが居てくれたら
そりゃあ心強いでしょうね。
だけど残念ながら、そんな話はあんまり聞いたことが無いなあ。
by song4u (2011-10-29 20:58) 

song4u

■tamaちゃん

当時はね、泣くような余裕もありませんでした。
そうなんだよね、余裕がないと泣くことさえ叶いません。
弱いままでも良い人間だけなんですよ、弱い人間で居られるのって。
そうじゃなきゃ、強くならざるを得ない環境に置かれちゃいますからね。
だから必然的に、そこそこ強くなってしまうって寸法です。
それが成長ってモンかもしれませんしね?(今日は、ヤに強気だ^^;)

■yakkoさん

単身赴任は確かに大変だけど、家族帯同赴任はもっと大変でしょう。
yakkoさん、全部付いて行かれたなんて、スゴイ&熱いですね~。
その辺りは奥さんがどう考えるか、ということに尽きるんじゃないか?
ぼくはそんな気がしますけどねえ。

子供さんたちは、きっとタフになられたことと思います。
だけど今は同じ校舎内に居ながら、携帯メールでやり取りするような
摩訶不思議な時代でもあります。
多くの親たちは、より安全な道を選ぼうとするだろうし、その多くの部分は
理解できない領域ではないという気もします。
本当は家族帯同であるべきなんだ、と分かってはいてもね。^^
by song4u (2011-10-29 21:13) 

yu-ko

こんばんわ。
うちの父も単身赴任経験者です。
それも、私の<転校したくない!>の希望を叶えるため…。
そうか~、こんな気持ちだったのかなあ??
なんて、考えてしまいました(^_^;)
by yu-ko (2011-10-29 21:24) 

song4u

■mymyさん

おっ?
mymyさんって、そういうタイプの人だったわけですね?
こりゃメモっとかなくっちゃ。(笑)
ありがとう、すご~くうれしいです!

■enpokoさん

あの頃、本人はね、切ないという気持ちは無かったと思います。
その瞬間、その瞬間の対応や判断で精一杯だったですからね。
ただ、記憶だけはしっかり残ってるんですよね。
やっぱり刻まれるべき「何か」が、確実にあったんでしょうね。

13年ですか!
ぼくの11年でも多いと思ったけど、さらに上ですね。
母上さまは、少なくとも楽しかったはずはありませんよね。
何かを相談したい時に居ないって、やっぱり寂しいと思いますよ。

単身赴任は、仕事をする環境としては無敵です。
何しろ、仕事以外の雑事がまったく無い環境ですからね。
休みの日まで、「することないから会社にでも行くか」みたいな
気持ちになるから不思議なモンです。
by song4u (2011-10-29 21:26) 

song4u

■musselwhiteさん

ありがとうございます!
はい、頑張って・・・おりました。(過去形デス^^)
ぼくの場合は、会社の問題を家庭に持ち込みたくなかったので、
転勤になれば単身赴任すると最初から決めておりました。

1回目の15年前は今ほど単身者に優しい環境ではなかったので、
結構苦労が多かったように思います。
しかし今は、もうほとんど困ることが無い環境になっております。
だからでしょうか、本当に多いですよ、単身赴任者。
決して良いこととは思いませんけどね。一種の必要悪ですね。

■そらへいさん

100円玉でも短いインターバルでしたから、最後の10円玉の頃は
ほぼ連続投入に近いような塩梅なんですよね。
公衆電話でそんなに高額になる通話などしたことがなかったので
もう少し多めに両替しとくんだったと悔やみました。

ドラマかあ、確かにそうですよね。
公衆電話機も数々のドラマを見てきたことでしょうね。
そらへいさんにもそんなドラマのひとつやふたつ、あるでしょ?
告白電話なんかのお話を聞いてみたいけどなあ。^^;
by song4u (2011-10-29 22:04) 

song4u

■ポルンさん

ポルンさんもご苦労されたんですね。
高校の転校って、社会人で言えば転職にも匹敵しますよね。
当然、小学校や中学校みたいなわけには行かないでしょうから。
そうなると、ポルンさんのような対応にならざるを得ませんよね。
サラリーマンでいる限り、転勤は避けられないし。
うーむ。

■yu-koさん

子供の頃は大人の事情が分からずに主張しますからね。
だけど、それはそれで良いと思います。
ヘンに気を回されたりしたら、本当の気持ちが分からないから。
希望は希望として聞いた上で、最善の判断をしたい・・・
親ならみんなそう考えますよね。

ま、ぼくも子供側だったら、転校したくないって言いますよ。
転校したいと言うほうが不自然だもんね。
サラリーマンはツライ稼業なのでございます。
ただね、ツライのはカミさんも同じなんだよね。
だからぼくも、カミさんには本当に感謝してますよ。
by song4u (2011-10-29 22:15) 

mag

兄さん
きいた事無いのじゃなくて
そういうシステムを組んでいる所(企業)はない
だから
「企業はそうゆう生活ガイドを一時期雇って、単身赴任中の人の生活のhow toを教えるシステムも考えた方が良いと思うけど 』
というコメントになったのだ

今は日本ってお風呂さえ定量停止するけど、海外はそんな事無いのよね だから居眠り中にお湯があふれたなんて話があるの
日本と違って海外の風呂場には排水穴がないからそりゃ大変な事になるのよ
そういう対処にお湯の見張り番みたいなものの紹介とか細々した粗忽な海外道具の対応のヒントを与えてくれる窓口は用意しておくべきだと最近痛切におもうのさ
日本は便利だもの、宅急便が留守対応してくれるなんて夢の話なんだよ〜〜〜〜a
by mag (2011-10-30 11:32) 

ふぢたしょうこ

社会人になってから、すぐ一人暮らしを始めましたので
困ったことが多かったです。
トイレットペーパー1個から自分で買わないといけませんから、あっという間にお給料はなくなってしまいました。
遊ぶお金がまったくなかったです・・・・

実家の有り難さがよくわかりましたね。
by ふぢたしょうこ (2011-10-30 14:16) 

まる

うちの父も転勤族で、私は幼稚園を4回、小学校を3回転校しました。
父は母のことを最上級LOVEで、片時も母と離れたくなかったようです。
子どものほうはやっと友達できたばかり・・・なのにすぐ転校。
まぁ、学期の途中で転校してきた子はしばらくはちやほやされるので
転校生で得した面もありました。

song4uさんと同じようにもし父が単身赴任したならば(あり得ないけど)、
子どもに2000円がなくなるまで公衆電話から電話したかな??
そりゃもう、すぐに「ママに代われ」といわれたと思います^v^
な~んてこと考えながら読ませていただきました。
by まる (2011-10-31 22:24) 

song4u

■mag姉さん

ちょっと論点がズレるけど、ぼくは総領の甚六と言えばいいのか、
あんまり気が使えないタイプで、よく無神経だと言われます。
反面、自分で言うのも何ですが、小さいことには気がつかないので
結果的にあんまり深く悩むことがないのが取り柄でもあります。
だから本当は、ぼくみたいなヤツが海外赴任には向いてると思う。
でも、不思議に声が掛からないんだよね~。(笑)

■ふぢたしょうこさま

社会人になってからのひとり暮らしは、本人希望だったのは?
そうみたいなんだよね、みんな自由を求めてひとり暮らしを希望する
ようなんですよね。
だけど、ひとりで何から何までやるのは本当に大変です。
目に見えないと言うか、気がついていないモノが多いですからね。
遊ぶことも含めて自由を求めるけど、自由を確保するために失うもの
にまで、若い頃にはとても思いが至りませんから。
しょうこちゃんも苦労したんだね~。(よしよし)

■まるさん

幼稚園を4回!というのは尋常じゃありませんね。
小学校の3回もちょっとショッキングだなあ。
有能な企業戦士の典型だったんでしょうね、父上さまは。
でも、今のまるさんには、そのことがプラスになってように思います。
ちょっと無責任発言かもしれないけど。

上の子(男)は愛想がなくて、こっちが主体的に電話してましたが、
下の子(女)はまだ小さくて、電話するのが楽しかったみたいで、
公園で誰々ちゃんと遊んだとか、お昼ごはんに何を食べたとか、
本当に他愛のない話を一方的に聞かされた記憶があります。(笑)
by song4u (2011-10-31 23:05) 

mag

兄さんへ
そういう野太い神経の人は海外は無理
そういう感じだと誘拐されて身代金だぞ〜〜〜〜(笑)

笑い事じゃないよね
大昔、三井物産の若王子さん誘拐以後、日本人駐在員の住処は一気に超高級路線で日本に居るより三倍位良い場所に住んでいるもの
海外は海外で死ぬ程神経使うからもし兄さんが書いた通りの性格なら間違いなく最初からスリや強盗にやられてるよ(爆)
ちなみに今度訪ねる友人もかの地で超高級住宅地に住んでいる
by mag (2011-11-01 00:11) 

NO14Ruggerman

現在進行形でありますが、小生自身は楽しませて
戴いております。
むしろ「銃後の妻」と申しましょうか、家を守る女房に
大きなプレッシャーが生じるので、その苦労の方が
深刻だと感じておる次第です。
by NO14Ruggerman (2011-11-01 01:13) 

song4u

■mag姉さん

身代金要求されても払うものが無いから、それっきりだね~~。(笑)
海外赴任の住環境が、国内よりも高級だって話は良く聞きます。
いいなあとは思うけど、所詮、縁のない世界だからなあ。
姉さんこそ、くれぐれも用心して渡航してください!

■NO14Ruggermanさん

ラガーさんの場合、ちょっと楽しみすぎみたい。(爆)
だけど、ラガーさんの仰るとおり。ぼくもそう思いますよ。
確かに、「亭主元気で留守がいい」には違いないと思うけど、
それはあくまで面白おかしく言っているだけであって、カミさんの
不安や苦労はぼくも十分認識しておりました。
だからねラガーさん、帰省された時にはカミさん孝行して下さいよ。
これは義務みたいなモンですからね、よろしく~!^^
by song4u (2011-11-01 23:41) 

mag

兄さんへ
女性が結婚もしないで一人暮らし
これも凄い大変なんだよ
体中刺だらけになるね
by mag (2011-11-02 09:29) 

めぇてる

公衆電話。。最近はだんだんと見かけなくなりました。
携帯を持っていない母はとても不便だと言います。
さて、公衆電話・・電話ボックス・・・・ありました
お家で長電話はチェックが入るので近所の電話ボックスまで
行って、暗い中で一人照明をあびてずいぶん目立つことしていたな~
そう思うとなんだか笑っちゃいます。。。
ごめんなさい・・記事のコメントとトンチンカンで・・・
by めぇてる (2011-11-04 20:10) 

olived

昔、転勤族だった親が小銭をたくさん用意して公衆電話に並んだことを思い出しました。夜だったかなー。
私の記憶に間違いが無ければ、引っ越し先によっては何世帯かの官舎(公務員だったもので)に電話が1台ということもありました。電話が設置してあるお宅が取り次ぎもしていました。電話が来るとわざわざ知らせに行ったりして。。

夫に帯同して海外赴任の経験がありますが、先に赴任した夫は家族のために生活の基盤を整えなくてはいけないので大変だったと思います。前任者や先輩赴任者などからアドバイスをしたもらったり、助けていただいたりしてスムーズにスタートすることが出来ました。
本当は子供だ小さい上、健康面や言葉の不安も大きく、単身で行ってほしいと思ったのですが、会社の方針で基本家族帯同でということでしたので、半ば仕方なくいきました。しかし行って良かったと思ったのは家族の絆が強くなったということです。周りの日本人赴任者は皆そう思っていました。
事情で家族は一年早く帰国しましたが、一人になった夫は生活の面で大変な様子でした。国際電話料金も今程安くなく時差もあるのでそうしょっちゅう話すことも出来ません。
私は私で、子供たちと家を守らなければいけないので神経をつかいました。日本の方が面倒なことが結構ありますし。。。

by olived (2011-11-07 00:45) 

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