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神さまがくれた偶然 [その他]

今日は社有車でお出掛けでした。
打ち合わせ先とのアポイントメントは、午後1時。
昼を挟み、約80分かかる場所のアポイント。事務所を出発したのは10時25分でした。
前回もぼくが乗ったのでしょう、ラジオはRKBラジオ(地元局)が選曲されていました。

事務所を出て都市高速に乗るまでの約12,3分、いつもながらの大渋滞です。
歩いたほうが絶対に早いよなあ・・・なんて思いながら、ふとラジオに耳を傾けると
何やら、おじさんとおばさんが話しているようでしたが、そんなことよりも目の前の
大渋滞が気になっていました。
そんな中、女性の声で、気になるフレーズが聞こえて来ました。

「長い間お聞きいただき、ホントにありがとうございました。(泰子さん、ありがとう!)
心より感謝申し上げます。誰かとどこかで、お喋りは永六輔、遠藤泰子でした!」

おお!
『誰かとどこかで』の最終回、今日だったのかあ!
しかし、何という偶然。何という幸運!!
下記の貼り付けは、今日9月27日のRKBラジオの番組表です。

無題0927rre.jpg
  (2013年9月27日 RKBラジオ番組表 抜粋)

10時25分に事務所を出て、隣のタワーパーキングから出庫するのに3,4分でしょうか。
まさに、10時半からのこの番組を聞くためにクルマに乗ったようなものです。
午後1時からの打ち合わせ時刻を決めたのはぼくですが、決めた本人も認識していない
こんな伏線があったなんて、神さまがくれた偶然としか言いようがありません。


『誰かとどこかで』。
番組開始は1967年(昭和42年)の1月なんだそうです。
今日のこの最終回で12,629回、何と!46年もの年月を積み重ねて来られた。
ぼくが聞き始めたのは大学生になった後、太宰府町(現 太宰府市)に引っ越したために
自動車通学になった頃だから、’74年前後からだと思います。

当時、好きだったのが『小沢昭一的ココロ』と『誰かとどこかで』。
小沢昭一さんの芸術的ノーテンキ具合、対して永六輔さんの生真面目一本勝負。
「7円の唄」(当時、ハガキが7円だったんだと思います)なんて、名作が多かったなあ。
ああ、ついにどっちも無くなってしまったということなんですね。
かなり寂しいよー。

だけど永さん、いつからこんな声になっちゃったんだろう?
遠藤さん(今年70歳)は変わらぬ美声だけど、永さんの声、永さんじゃないみたいだった。
でも、最後の言葉は、泰子さんありがとう! 桃屋さんありがとう!・・・だったなあ。
いかにも永さんらしい、やっぱり永さんは永さんだ。


終了後、遠藤泰子アナが12時からのRKBローカル番組に電話出演されるとの情報。
ぼくはナイター中継を聞くために、いつもポケッタブルラジオを持ち歩いているので、
昼飯を食べながら遠藤アナの出番を待ちました。

遠藤アナは、TBSに入社した年度に、2代目アシスタント(初代は超短命だったとか)
として、始まったばかりの『誰かとどこかで』に関わったんだそうです。
以来、46年。しかし・・・

「アシスタントらしい仕事は皆無。永さんの前では、ひとりのリスナーに過ぎなかった」

そう謙遜されていました。
永さんに合わせて笑ったり、分からないことは「何ですか?」と訊いたり、番組のお陰で
随分勉強させてもらった、特等席で永さん語録を聞かせて貰って大変有り難かった、と。
46年も関わって来たから、既にもう人生の一部化しているところもあり、言うに言われぬ
心境です・・・とも仰っていたかなあ。そりゃそうですよね。

早速、youtubeを検索してみました。
奇特な方はいつもおられますね。今回もちゃんとアップしてくれていました。
どうかどうか、お願いだから削除されませんように。


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